夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

”闇落ち”<火星シリーズ>。E.R.バロウズ『The Moon Maid』の感想&解説

こんにちは。

夏川夕です。

 

エドガー・ライス・バロウズの<月シリーズ>第1巻を読み終えました。バロウズは日本でも<火星シリーズ>、<ターザンシリーズ>、<ペルシダーシリーズ>などが有名ですが、この<月シリーズ>はネット上でもほとんど感想を見かけません。というのも日本語翻訳版が刊行されたのは随分昔で、そもそも今の日本では、書籍を手に入れること自体が難しくなっているからだと思います。私も日本語版は諦め、原書をKindleに落として英語で読みました(KindleWi-Fiが繋がってなくても、ワンタッチで辞書が使えて便利なんです)。

そんな苦労して読んだ<月シリーズ>ですが、期待していた物語の中身以上に、バロウズの思想みたいなものが強く見えて大変に面白かったので、ここにまとめておきたいと思います。この作品、感想をシェアすると、とても楽しめそうです。ネタバレもどんどんしていくので、まっさらな状態で読みたい方はご注意くださいね。ただ、<月シリーズ>の前には、<火星シリーズ>を読んでおくのを強くお勧めします。

 

 

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 バロウズの作風について

そもそもバロウズは、いわゆる冒険小説を得意とする作家です。舞台となる世界のエキゾチックな描写、美男子と美女のロマンス、それを邪魔する陰謀と、道を切り拓くチャンバラなどで、大衆を楽しませることを主眼においた娯楽小説。私が大好きな<火星シリーズ>が、その筆頭です。一方で、作品の文学的・社会的価値は、それほど重視していないように感じます。

よく言われていることですが、バロウズは物語の運びや舞台設定は非常に魅力的なのですが、キャラクターと単純な物語の起承転結は紋切り型です。

主人公はいつも、強い・優しい・イケメンの三拍子そろった好青年。どんな状況でも絶対に諦めず、最後には勝利を勝ち取ります。加えて色恋沙汰には鈍感で、ヒロインの気持ちどころか自分の気持ちにも物語終盤まで気づかないのもお約束。たいてい一度はヒロインを怒らせてまごまごします。

そんな主人公の相手を務めるヒロインは、いつも絶世の美女で、誇り高く、精神的に強くて貞淑バロウズの好みなのかエキゾチックの演出なのか、黒髪・黒目であることが多いです。また、ヒロインの出自(あるいは主人公の出自が謎に包まれている場合も)は王族であることも、ほぼパターンになっています。

ここまでで、物語の起承転結も何となく察しがつきますよね。異世界に放り出された主人公が、望まない結婚を迫られたり命の危機にあるヒロインを助けて恋に落ち、彼女を救うことが一つの国や、場合によっては異世界そのものを救うことに繋がって、最後は勝利・美女・地位と、すべてを手に入れて大団円です(もっとも、そういうシンプルな物語にいろいろなアレンジを加えて面白く書いているのがバロウズです。大好き)。

ところが<月シリーズ>は、このバロウズパターンの合わせ鏡と言うか、セルフアンチテーゼみたいなお話でした。娯楽を主眼に置いた<火星シリーズ>とは異なり、バロウズの思想も強く見えました。そこがすごく面白かったのです。

 

<月シリーズ>第1巻の物語

<月シリーズ>第1巻は、『The Moon Maid』というタイトルで、日本語では『月のプリンセス』などと訳されています。物語の運びは、一見典型的なバロウズパターンです。

主人公のジュリアンは、火星を目指して宇宙船で飛び立ちますが、事故によって月に墜落、月の地底世界に迷い込みます。その不思議な世界を探るうち、半獣半人族に捕らえられ、次いで大理石のような肌を持つ人型の月人、ナー・イー・ラーと出会います。ナー・イー・ラ―も半獣半人族に捕らえられているのですが、ジュリアンは彼女と共に逃げ、彼女の父が治める月の都市帝国・ライスへ赴きます。ところが、ライスでは玉座を狙う貴族、コー・ターが、かつてライスの人々から枝分かれしたカルカール人と組んで、クーデターを企てていたのです。

バロウズパターンに従うなら、ジュリアンがコー・タ―を倒し、ナー・イー・ラーと共に玉座について大団円です。ナー・イー・ラーの祖国ライスは、月世界で一番の文明国とされていますから、ライスの王になれば月世界を支配したも同然です。

ところが、『The Moon Maid』ではそうはなりませんでした。その理由は、ひとえにジュリアンのライバルとされる、オーシスの存在です。オーシスはジュリアンと共に半獣半人族に捕らえられるのですが、ジュリアンとは異なり、半獣半人族と友情らしきものを結びます。そして、彼もまたナー・イー・ラーに恋するのですが、ナー・イー・ラーは彼を拒みます。というのも、オーシスはちょっとイヤな奴というか、粗暴で卑劣な側面があることがたびたび描かれているからですね。

ジュリアンとナー・イー・ラーが半獣半人族の元を逃げ出した後、オーシスはしばらく物語に登場しません。彼が再びあらわれるのは物語終盤、コー・タ―の陰謀をジュリアンが打ち砕いた直後です。彼はたくさんのカルカール人を従え、地球の知識でつくった爆撃機や手榴弾などを駆使して、ライスの町を破壊します。彼が望むのはナー・イー・ラーと結婚し、月の世界の皇帝になることです。

オーシスの猛攻にライスの人々は絶望し、次々に自ら命を絶ってしまいます。ジュリアンは滅びるライスを背にし、唯一生き残ったナー・イー・ラーを連れて、当てもなく落ち延びてゆきます。その後はジュリアンにとって幸いが重なり、ナー・イー・ラーを連れて地球に帰還し、物語は幕を閉じます。

 

『The Moon Maid』は"闇落ち"<火星シリーズ>

この物語の展開は、バロウズらしからぬようでいて、実はとってもバロウズらしい運び方です。注目すべきは主人公のジュリアンではなく、ライバルのオーシス。オーシスがやっていることは、<火星シリーズ>の主人公、ジョン・カーターがやったことと全く同じなんです。

ジョン・カーターは、火星に降り立った当初、緑色人と呼ばれる四本腕の巨体を持つ部族の間で暮らし、その族長のタルス・タルカスと友情を結びます。ジョンはある日、地球人と全く同じ姿をした美女、デジャー・ソリスが、緑色人に捕らわれるところを見ます。デジャー・ソリスは赤色人と呼ばれる人型の火星人で、都市帝国・ヘリウムの王女でした。ジョンは彼女を祖国へ送り届けようとしますが、ヘリウムは赤色人が治めるゾダンガという国と交戦中で、ゾダンガの王子にデジャー・ソリスを奪われてしまいます。ジョンはゾダンガの王子とデジャー・ソリスの結婚式に、タルス・タルカス率いる緑色人を連れて乗り込み、ゾダンガの町を破壊して、デジャー・ソリスを奪い返します。ジョンはデジャー・ソリスを救い、緑色人との稀有な友情を結んだ英雄としてヘリウムに迎えられ、王族の一員となるのです。

ね? オーシスが月の帝国・ライスにしたことは、ジョン・カーターがゾダンガにしたこととほぼ同じではありませんか。その世界の王女に恋人と認められたジョン・カーターは英雄であり、認められなかったオーシスは卑劣漢というだけです。

この鏡合わせの構造は、物語にはよく使われる手法ではありますが、私個人としては<火星シリーズ>を長らく愛してきただけに、オーシスがライスに乗り込んでくるところは、特別な感慨を抱きました。しかもオーシスは、「私は皇帝の中の皇帝、オー・ティスである!」などと月世界風の名を名乗っちゃっているので、こういうところも、「私は生まれは地球だが、本来火星人である」と自負しているジョン・カーターと同じだなあと、妙に愛着も湧いてきます。ジョン・カーターもまた、火星風の名を持ち、火星の王族たちによって「王者の中の王者」の称号を与えられた人物です。オーシスのキャラクター造形に対するバロウズの意図が、はっきりと見えますね。

つまりオーシスはまさに、バロウズ的英雄の"闇落ち"を体現したようなキャラクターであり、『The Moon Maid』はジョン・カーターの英雄譚をさかさまにした物語というわけです。オーシスとジュリアンを月世界へ運ぶ船の名前が、火星語で「火星」を意味する「バルスーム」であることが、とても暗示的ですね。

 

そして社会派(?)の側面も

もう一つ、<月シリーズ>で特徴的なのは、単なる娯楽小説に収まらず、バロウズの思想が強く見えていることです。『The Moon Maid』が書かれたのは1926年ですが、1922年にソビエト連邦が誕生し、資本主義対共産主義の目に見えない戦争が起き始めていたころです。この反共産主義については、多分第2巻以降により強く表れてくると思うのでここでは突っ込みませんが、一つだけ『The Moon Maid』でも、バロウズの思想主張らしいシーンがあったのでご紹介します。それは、ライスの人々と枝分かれした過去があり、物語終盤ではオーシスに率いられてライスの都市を破壊した、カルカール人の成り立ちについてです。ジュリアンにそれを話してくれたライスの男性、モー・ゴーの言葉を抄訳します。

「カルカール人は、もともと”考える人々”と名乗っていた。昔、カルカール人とライス人は一つで、世界は10に区分されてそれぞれに王を戴いていた。世界はとても栄えていて、都市や村がすみずみに広がり、船や電車や飛行機が各町を結んでいた。電話(電信?)もあった。富裕層と貧困層はあったが、福祉は平等で、教育を受ける機会は子供たち全員にあった。しかし、"無教育の方が少しばかりの教育よりもいい"という者たちもいた。歴史に照らしてみれば、僕もその方が良かったと思う。

 "少しばかりの教育を受けた者"が社会の大半を占めたとき、彼らは仲間内で、よりよい教育を受けた者たちの失敗を見つけることを始めた。そのうちそれは社会的組織になって、"考える人々"と呼ばれ始めた。"考える人々"は、考えているより喋っている方が多いのだけれど、彼ら自身は考えていると思っていた。長い時間をかけて、"考える人々"は不満を持った人々でいっぱいになり、とうとう政府を倒して、自分たちで社会を統治し始めた。王たちは追われ、支配層の多くは殺された。支配層の一部はライスの都市をつくり、そこに逃げ込んだ。"考える人々"は働かないし、何か新しく生み出すための訓練や知識の発展もしない。古いものを持ち続けることもしない。その結果、文化も科学も、政府や経済と一緒に潰えた。カルカール人は書物も記録もすべて破壊してしまったので、ライスに残った知識をもってしても、元の文化を取り戻すことはできないんだ」

この話を聞いて、ジュリアンは「絶望だ」とコメントしています。私もそう思います。

でも何より怖いのは、この物語が、単なる空想世界のお話でも、歴史の過去の出来事でもなく、ごく身近にあるように思えることです。そう思うのは、私だけでしょうか。

 

 

<月シリーズ>は、あと2冊あります。最終巻にはニッポン人が出るようで、それがとても楽しみです。原書で頑張って読み通します。

日本語の感想があまり見当たらないシリーズですから、この記事が誰かの参考になれば嬉しいです。

 

 

 

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