夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

「ココアを飲んだ」最初の記録? 徳川昭武の日記の秘密

こんにちは。

夏川夕です。

 

今週のお題」は【チョコレート】。以前の 「ピザ」同様、欧米の食べ物をテーマにされると日本史学的には辛かったりするのですが、今回はむしろ楽しんで語りたい歴史があります。それには、まずお題のチョコレートを湯煎して、とろとろに溶かさなければなりません……

 

 

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日本史とは距離があるようなホットココアですが……
ココアの最初の記録? 『徳川昭武滞欧日記』

徳川昭武、と言われても、ぴんとくる人はあまり多くないでしょう。しかし、「ココア 日本史」などと検索してみると、徳川昭武の名前がいくつもヒットします。これは長年昭武関係の史料を読んでいる私にとっても、初めての発見でした。昭武とココアがセットになっている理由は、彼の日記に記された「ココアを飲んだ」という一文が、日本の文献に最初に残る、ココアを飲んだ記録だからだそうです。

しかし、そうした昭武とココアを結ぶ紹介文も、昭武がどのような状況下でココアを飲み、またそれを記録したのかは書いていません。話は「ココアを飲んだ」という単純な事実だけではないのです。

 

徳川昭武ってどんな人?

そもそも、徳川昭武とはどんな人でしょうか。

彼は水戸の徳川斉昭の18番目の息子で、7番目の慶喜とは母親の違う兄弟になります。子どもの多い水戸徳川家の中でもできが良かったのか、あるいは時勢に恵まれたのか、水戸徳川家随一の出世頭・慶喜にも、特にかわいがられていたようです。当時から、慶喜は昭武に将軍職を譲ろうとしているという噂が立っていたほどです。

昭武が生まれたのは1853年、奇しくも黒船来航の事件が起きた年で、慶喜が将軍になった年には、やっと満14歳になる少年でした。そんな昭武を、慶喜は将軍名代、つまり将軍の代理に立てて、フランスのパリへ派遣します。1867年、パリでは万国博覧会が開かれていました。徳川幕府は、この博覧会を足掛かりにしてヨーロッパの社交界へ入り込み、各国王侯たちと親交を結んで、国際的な足場を固めようと考えていたのです。その要が、将軍・慶喜のかわいがる実弟である、徳川昭武というわけでした。

昭武は万国博覧会で日本代表を務めたのち、フランスで語学や帝王学などの学問を修める予定でしたが、徳川幕府の消滅を受けて、帰国します。彼が「ココアを飲んだ」と記したのは、日本ではまさに戊辰戦争が展開している、1868年8月3日のことでした。

 

本当の「ココアを飲んだ」記録

昭武は、日本で戊辰戦争が行われていることを、日本からの手紙や新聞で知っていました。しかし遠国のことでデマも入り混じって確かな情勢がわからず、半分独断でパリに滞在を続け、当初の予定通り、フランス語を始めとした各科目の勉強も始めていたのです。しかし1868年7月になると、徳川幕府より日本の政権を受け継いだ明治政府から、帰国命令が届きます。この命令に従うことに決めた昭武は、最後の勉強として、フランス国内やその周辺国へ、旅行に出かけるのでした。

この旅行の日記を、昭武は習い始めたフランス語で記しています。「ココアを飲んだ」描写はその日記の中にあります。つまり、日本で最初に「ココアを飲んだ」記録は、実は日本人の手ではありながら、フランス語で記されているのです。その一文は、次の通りです。

Lundi 3 Aout

  Le matin à 8 heures, après avoir pris notre chocolat, nous avons visité l'arsenal militaire.

 これは『徳川昭武幕末滞欧日記』(宮地正人監修)という資料において、次のように訳されています。

八月三日 月曜

朝八時、ココアを喫んだ後、海軍工廠を訪れる。 

 昭武と従者たちは、前日の8月2日にパリを出発し、シェルブールを訪れています。宿泊するのはホテル。つまり、ココアはホテルの朝食で飲んだというわけですね。海軍工廠を訪れているのは、昭武たち日本の侍が、武器や船に特別な関心を寄せているのを、フランス側が知っていたからでしょう。

ところで、昭武のフランス語日記ですが、彼の日本語日記と比較すると、面白い違いがみられます。日本語日記の方は、長くても5行程度で、ただその日にあったことをごく短く記しているだけです。例えば、7月7日の日本語日記はこんな調子です。

同十八日、晴

朝ジミナス」え参る。夕刻乗廻に参る。 

 たったこれだけ。「ジミナス」というのは体育館のことで、昭武が嫌ったフランス陸軍式体操の授業が行われたのでしょう。「乗廻」というのは馬車でドライブに出かけることです。他にもやったことはたくさんあるでしょうに、この2つしか記していないのですね。

ところが、フランス語日記の方は、この10倍は長さがあります。海軍工廠で見たもの、その感想、正午に昼食、1時にまた軍事施設を見て、その感想、5時にホテルへ戻り、夕食、その後散歩、散歩中に見たもの。日本語日記との、この明らかな違いは、何でしょうか。

フランス語日記を原文で読むと、その本当の目的がはっきり見えてきます。わかりやすいように、昭武の仏文を英訳してみましょう。

8 o'clock in the morning, after taking our hot chocolate, we visited the navy arsenal.

こういう少しぎこちない文章、どこかで見た覚えはありませんか? そう、英文法の練習です。つまりこの日記は、昭武のフランス語の練習なのです。

フランス語文で言うと”Le matin à 8 heures”や"après"などという時制表現からも読み取れるように、「いつ何をした」「その後何をした」という文章は、昭武のフランス語日記に頻出します。どうやらこのころは、時制を習っていたようなのですね。現在でも英語の勉強方法に、英文日記を書くなどというメソッドがありますが、昭武はまさにそのメソッドを使ってフランス語の習得を目指していたわけです。日記のそこここには、フランス語の命令文の練習や、教師らしき別人物の筆跡も見られ、旅行そのものがフランス語の授業だったことがうかがえます。

つまり、日本で最初に記録された「ココアを飲んだ」という言葉は、昭武のフランス語教師が命じたであろう、フランス語習得メソッドの副産物だったわけです。ちなみに、昭武がココアを飲んだと確認できる記録はこの一文だけで、彼は普段、お茶やコーヒーを飲んでいたようです。コーヒーは、昭武に同行した渋沢栄一も「頗る胸中を爽にす」と気に入っていますから、苦い茶を好む日本人の口に合ったのでしょうね。

 

ところで、昭武がココアを飲んだのは真夏の朝です。ヴァレンタインデーのような寒い朝ならともかく、なぜ暑い朝の飲み物に、わざわざココアを選んだのでしょう? 帰国前にフランスの文化を何でも吸収しようという姿勢のあらわれなのか、それともたまたまそばの誰かがすすめたのか、あるいは、実は氷を混ぜたアイスココアだったのか。その真相は、どこにも記録されていないようです。

 

 

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