夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

萱野茂 著『アイヌの碑』および北海道・留萌周辺の記憶に寄せて

こんにちは。

夏川夕です。

 

アイヌのことを、強く、知りたい、知らなければ、と思った瞬間があります。5年以上前のことです。北海道を、初めて訪れたときのことでした。

その旅の目的と詳細についてはこちらにまとめてありますが、ここでは、なぜ私がアイヌのことを知りたいと思ったのか、その理由を記していこうと思います。

私は、実際に北海道に上陸する前に2度、北海道を遠くから臨んだことがあります。下北半島と、津軽半島の2か所からです。下北半島は、徳川幕府方の逃亡者たちが、津軽半島は、平泉を生き延びた源義経が、それぞれ北海道を臨んだと伝えられる場所です。津軽海峡を隔てた北海道は、波しぶく海に青い大地を横たえて、同じ日本でありながら、「海外」という雰囲気をまとっているように、私には思えました。そんな感情を抱えて、私は3度目の正直で北海道を初訪問しました。利用したのは、津軽海峡フェリーです。夏のきれいに晴れた日でした。小さな船で波を乗り越え乗り越えして、函館の港に着いたとき、日本語のアナウンスが流れ、日本語の看板があることに、何だか拍子抜けしたことを強く覚えています。

拍子抜けした理由。それはつまり、私は無意識下で、北海道は「海外」であり、イコール「異国の地」だと、感じていたのです。その感覚は、上陸後数日間、実際に北海道を歩いてみて、薄れるどころか、ますます強くなりました。

私の北海道旅行は函館に始まり、長万部から札幌へ電車を乗り継いで、札幌からバスに乗り換え、北海道の西の海岸線を北上し、宗谷岬の手前の天塩まで行くという行程でした。一日中移動して、まる2日かかります。その途中途中で、例えば大人の顔より大きい蕗の葉が生い茂る様子や、富士山によく似た羊蹄山などを見て、旅情を誘われもしましたが、それ以上に、「外国」にいる感じが否めませんでした。聞こえる会話も、見える文字も、すべて日本語なのに、何となく居心地の悪さがぬぐえないのです。電車からバスに乗り換えると、その感じはさらに強まりました。

バスに乗っていてようやく気付いたのは、2つの「異国感」でした。1つは、町と町を隔てる、大きな「何もない空間」です。本州の町は、山や川に隔てられこそしますが、「何もない空間」に隔てられている場所は皆無と言ってもよいと思います。町はその境目さえ町に埋められて、空間などどこにもありません。それなのに北海道は、1つの町を通り過ぎると、次の町まで延々と平原が続きます。その様子は、アメリカの田舎町によく似ていました。その景色が指しているのは、北海道が、「開拓された土地」だということでした。人が自然発生的に切り開いて町を築いた土地ではなく、意図あって開拓された土地。私は北海道の平原に、アメリカのフロンティアに似たものを、強く感じていたのです。

そして2つめの「異国感」は、土地の名前でした。長万部、留萌、苫前、サロベツ……。通り過ぎる土地の名前は、日本語で看板に書いてあり、日本語でアナウンスされるのですが、その語感には全くなじみがありません。日本語でもなく、英語でもない、意味のつかめない名前ばかりが、土地につけられているように思いました。

何もない空間をまっすぐ伸びる道路。その道路は、その響きが親しめない土地ばかりを貫いています。私はその上を走る、たった1台のバスに乗っているのです。夕闇が濃くなるにつれて、何だか異世界に迷い込んだ気さえしていました。

そうした景色、言葉の響き、夕闇、異国感が相まって、私は北海道が、もともとアイヌの国であったことを強く感じました。

 

萱野茂の『アイヌの碑』では、北海道はもともとアイヌの国、アイヌ・モシリであったことを繰り返し訴えています。それを、シャモ、つまり大和民族がやってきて、奪ってしまった。萱野氏の書く「シャモ」という言葉には、特別な憎しみさえ感じられます。

私は、北海道が日本国に組み込まれたこと自体の賛否を論じるつもりはありません。なぜなら人類史を俯瞰すれば、今生きているどの民族も、それぞれ別の民族を吸収した過去があるはずで、どんなものであるにしろ理由なき吸収はなく、それらをいちいち未来の視点から弾劾するのは、したくないと思うからです。しかし、アメリカがインディアンに対して、オーストラリアがアボリジニに対して行ったような民族の同化政策が、わが国でも行われていたことは、北海道の夕闇の中で、認識せざるを得ませんでした。私はアメリカで過ごした中学時代、インディアンへの政策について義務教育として学び、家庭の事情でオーストラリアにたびたび足を運んだときも、アボリジニへの政策について、少々の知識を得ました。そのように外国の民族同化政策の事情は多少なりとも知っていたにもかかわらず、それがアイヌ民族に結びつかなかったことに、私は日本人としてショックを受けました。

アイヌについて知らなければ。

私はそう思いましたが、残念ながら、次の行動には結びつきませんでした。ただ、北海道の何もない夕闇の中で受けたショックと、そしてその数日後、小樽から出港した船のベランダから見た、神威岩の威容だけが心に残りました。神威岩は、海の中から天へ伸びるようにそびえた一本の岩ですが、アイヌの人々は、これを神の宿る岩と崇めていたと伝えられています。私はその岩を見たとき、変に空虚な気持ちがしました。アイヌの神々が、もう遠くへ去ってしまっているような、そんな気がしたのです。

そんな旅から5年以上が過ぎて、私はようやく、萱野茂の『アイヌの碑』を手に取りました。旅のことを思い出したからではなく、Twitterで見かけたからです。しかし、Twitterアイヌという言葉を見たとき、あのショックと神威岩が心に浮かんだことは、確かです。

アイヌの碑』は、アイヌ民族そのものではなく、アイヌ出身の男性と、その家族の記録です。しかし萱野氏の武骨な文章は、アイヌ民族としての誇りと、奪われたもの、失われたものへの悲哀に満ち満ちています。私は初めて、「海外」に住むアイヌの人と触れ合ったような気がしました。

 

アイヌの碑 (朝日文庫)

アイヌの碑 (朝日文庫)

 

 

萱野氏は、生活のための仕事を続けながら、アイヌ文化を残すための活動に取り組んでいきます。それは、アイヌを人類史に残すとか、そういう高尚な概念に突き動かされてのものではなく、自分の生活と地続きのものを守っていこうとする、そういう活動であることが、文章を読めばよくわかります。

萱野氏は、山子から議員に就任し、参議院議員までを務め、アイヌ文化振興法をつくった後に、政界を去ったそうです。アイヌを守り伝える。萱野氏の意志を私たちが継ぐとすれば、アイヌ民族という民族が私たち日本人の中にいることを知り、今は同胞なる者として、その文化がどういう文化であったかを知ることからではないでしょうか。『アイヌの碑』は、今、私の中で、神威岩の威容と重なって、そびえたつ本です。少し遅くはなりましたが、日本史を学ぶ者として、日本人として、アイヌへの誇りと愛を記録するこの本に巡り合えて、よかったと思います。

 

2021.1.18 記事内容を修正しました。失礼しました。

     「衆議院議員までを務め」→「参議院議員までを務め」

 

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