夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

多和田葉子 著 『かかとを失くして』 読書感想

こんにちは。

夏川夕です。

 

先日、多和田葉子の『かかとを失くして』を読みました。ここ最近読んだ中で一番難解な本でしたが、反面、ものすごく共感するというか、過去の記憶を追体験しているような感覚になり、不思議な読後感でした。この記事では、私なりの『かかとを失くして』の読み方をまとめてみたいと思います。

 

 

 

 

『かかとを失くして』が描いているもの 

物語は、主人公の女性が、駅のプラットホームに降り立つところから始まります。

彼女にとって、その駅自体、初めての場所であることが示唆され、しかも彼女は駅にうまく降り立てずに転び、動揺しています。動揺する彼女の視点で語られる景色は、彼女の心と同じようにぐらぐらと視点は定まらず、部分部分はわかっても、肝心のところがぼんやりしています。

主人公はお金を持っていませんが、お腹がすいています。夫の家に入れなかった彼女は、町をさまよいます。

 

……今も空腹を癒す食物を捜して駅前へ出たのにお金がなく、せめて味見に差し出されるものにでもありつきたいと思ったが、味見の習慣は全くないらしく、料理屋の飾り窓にはタイプライターで売った献立表が画鋲で留めてあるだけでドアはみんなしまっていて料理のにおいもしなかった。よく見ると、献立表には時刻らしい数字も書いてあり、もしかしたら町の食事の時間というのが決まっていて、それ以外の時間は料理屋は閉まっているのかもしれなかった。

異文化の町で、主人公はその町のルールを知りません。常識と言い換えてもいいでしょう。主人公が町の習慣として推測する、「味見の習慣は全くない」「町の食事の時間というのが決まっていて」などというのは、公平に観察すれば突飛な思い付きですが、しかし決して否定できないのが、常識の怖いところです。物語を通して主人公は、夫の姿を捜しながら、移り住んだ町の常識を身に着けようとします。そんな主人公を、町の人たちは笑ったり怒ったり、どこか過剰に反応します。なぜ笑うのか、どうして怒るのか、その理由は、主人公の推測しか書かれません。

これは、外国に降り立った私たちが、往々にして陥る状況ではないでしょうか。レストランを見つけたときを想像してみてください。さあこの服装で場違いではないのか、提示されているメニューの金額は相場として高いのか安いのか、この人数で入ってもよいのか、ウェイターが何か顔をしかめている、何かまずいことをしたのか、目が合った客が笑う、何を笑われているのか、こんなふうに、異文化に入った私たちは、常にその文化の常識を考え続けてしまいます。別にレストランなのですから、堂々と入ればいいし、ウェイターが顔をしかめたのも客が笑ったのも、ただの偶然かもしれません。けれど私たちは、「異文化の中の非常識をしてしまった」と無意識に文化のせいにしてしまいます。『かかとを失くして』の主人公は、その無意識の戸惑いや怒りの一つ一つを、拾い上げています。

 

「かかと」と「イカ

『かかとを失くして』では、さまざまな言葉が暗示的に使われていて、勉強不足の私には、とてもその全部を満足に解釈することはできないのですが、「かかと」は何となく理解ができました。

物語中で、主人公は「かかとを見せておくれ」と子供にからかわれ、「かかとが欠けている」と病院で宣告されます。かかととは、体を支える重要な器官です。かかとがなければ安定して歩いていけないし、長く立つこともできなくなるでしょう。それなのに、主人公は、物語冒頭で、町に着いた電車から降りるとき、転んでいます。町に着いたときから、主人公はかかとが欠けていたのです。つまり「かかと」とは、主人公が移り住んだ町の「常識」にほかなりません。この「常識」とは、違和感なく疎外感なく、町で過ごしていけることです。主人公はそれを身に着けようと、かかとを隠しながら学校に通うのですが、結局かかとがないことがばれてしまいます。異文化に必死になじもうとしても、どこかなじみきれない悲しみと滑稽さの比喩が、見事だと思いました。

一方で、「イカ」が暗示しているものが何か、私には今でもわかりません。「異化」に通じるという解説も読んだのですが、それでも、「イカの耳をむしる」とか「部屋の中の死んだイカ」とかいうのがどういうことなのか、すっきりと納得のいく答えが見つからないのです。これは、今しばらく、置いておきたいと思います。何か答えを見つけた方は、教えてください。

 

数字の謎:3と17

『かかとを失くして』では、数字も暗示的に使われています。主人公をかたちづくるものは3、主人公が移り住んだ町をさすのは17、これは明確に書き分けられています。著者の多和田葉子さんは、日本で育ち、ドイツに移り住んだ人です。そのことを考え合わせれば、3というのが日本を指すのは明白です。日本は、三種の神器に始まり、三山、三神、三美人など、3という数字にことさら揃えたがります。お隣の中国へ行くと、これが4という数字になるそうです。数字は、その国の文化をあらわすこともあるのですね。

では、主人公が移り住んだ17という数字があらわす町はどこなのでしょうか。著者の経歴からするとドイツなのかなと思ったのですが、ドイツに在住経験がある友人に聞いたところ、特にドイツ人が17という数字に抱く思いはないようです。だいたい、特別な思いを抱くには、17という数字はちょっと大きすぎるように思います。

思うに、おそらく著者は、地球上のどこにもなく、しかしどこでもある町として、物語の舞台となる町を描き、その象徴として、17という数字を与えたのではないでしょうか。

ちなみに、17という数字をローマ数字で書いてアナグラムすると、ラテン語で「私は死んでいる」という意味になるそうです。主人公が嫁入りのために移り住んだのは、ひょっとしたら死者の町なのかもしれません。

 

今回は、多和田葉子の『かかとを失くして』について、感想や思ったことなど書きました。大人の童話、というには少し難しいですが、不思議な世界観で描かれる共感の物語には、強く惹きつけられました。私には絶対に書けない物語だけに、時をおいて何度も読み返してみたい小説です。

 

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