夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

ご褒美となった3つの史料。出会いと意義と未来と。

こんにちは。

夏川夕です。

 

今週のお題】は「自分へのご褒美」とのこと。今日はちょっといつもとテイストを変えて、偶然から手に入った貴重な歴史史料を、3つご紹介します。どれも神様が私にくれたご褒美と思えるほど、出会いに感動した史料です。

 

 

1857年の日本地図

イギリスのストラットフォード・アポン・エヴォンで手に入れた品物。ストラットフォード・アポン・エヴォンは、シェイクスピアの生まれた町として有名です。この町を観光するでもなくぷらぷらしていたところ、アンティーク・アートギャラリーとでも言うべきお店の看板を見つけました。入ってみると、薄暗い店内にはたくさんの古地図やイラスト。店の奥に向かって"Hello"と声をかけると、すぐ横から返事がありました。入口のすぐ横が番台のようになっていて、インド人らしいおばちゃんがにこやかに座っていたのです。そのおばちゃんの上にかかっていたのが、この日本地図です。

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私が日本人だというと、おばちゃんは「日本人と話したのは初めて」ととても喜んでくれました。私はおばちゃんと話しながらお店の中を見てまわりましたが、イギリスや中国の古い地図はたくさんあるものの、日本の地図は飾られている1枚しか見当たりません。「日本がこれだけ大きく描かれている地図は珍しいのよ。たいてい中国と一緒に描かれているの」とおばちゃんは言いました。

偽物かもしれないとは思いましたが、私はその地図を購入しました。地図の真偽がどうであれ、書かれている情報そのものが面白かったからです。帰国してから、大学時代の先輩に協力してもらって地理学の教授に相談したところ、当時の百科事典等にはよく付録としてついていた地図で、貴重だけれど、特別に珍しいものではないということでした。ですから、そのまま個人所蔵としています。

保証書によれば、この地図は1857年のもので、"The Society for the Diffusion of Useful Knowledge"の付録だそうです。1857年と言えば、日本はアメリカやイギリスなどと貿易する条約は結んだものの、まだ本格的な貿易は始まっていない、言わば準備期間でした。イギリスは、これから貿易していく新しい国の知識を、少しでも広めようとしたのでしょうか。

地図にはたくさんの地名が書かれていますが、江戸は「JEDO」となっています。これは「イェド」と読み、英語の「Jewish」が「ユダヤ人」を差すのと同じ、言語間の発音の相違です。ですから、この地図の本版は、「J」を「イェ」と読むオランダかドイツにあったのではないかと推測できます。なぜこの2か国かというと、オランダはご存じのように、日本と鎖国中も交易していた国でしたし、ドイツはひそかに鎖国中の日本を調査したシーボルトの出身国だからです。私はどちらかというと、シーボルトが持っていた地図をもとにしたのではないかなと考えています。(ちなみに、バロウズの『火星シリーズ』において王が”Jed”と表記されるのは、「Jedo」から来ているのではないかと思うのですが……。考えすぎでしょうか)

京都が「MEACO」と表記されていることも興味深いです。当時の日本人は、「京」と言わず、「ミアコ」と呼称していたのでしょうね。そして、おそらく大都市をあらわしている赤丸が、「JEDO」と「OSAKA」にしか描かれていないのも面白いですね。「MEACO」は、この地図が刷られた数年後に動乱の中心地となるわけですが、この時点ではそれほど重要視されていないことがわかります。「OSAKA」は、「JEDO」と肩を並べる経済の中心地で、ロシア船が出入りしたこともありましたから、ヨーロッパでは注目すべき都市だったのでしょう。

そのほかにも、「NAGASAKI」が特別枠で描かれていることや、開拓途中の「YESO」が半分しか描かれていないこと、国名が「EMPIRE OF JAPAN」と紹介されていることなど、一枚の地図から、日本がヨーロッパにどのように認識されていたのか、様々な情報を得ることができます。私が時代小説を書くとき、想像を膨らませてくれる史料でもあります。

 

1867年のパリ万博のレポート

1867年、徳川幕府がまだ健在のころ、日本がパリで開催された万国博覧会に出展していたことは、あまり知られていません。これは幕府が欧米の社交界にデビューする一大プロジェクトで、会場内に茶室を造って芸者を座らせるなどして、かなり大掛かりな日本紹介キャンペーンをやっています。このことをいつか小説にするのが、私の夢です。

さて、当時の万博というのは、各国の文化を紹介する側面もありましたが、科学の粋を集めて情報交換する、という意味合いもありました。ですから、どんな展示がされて、どの展示がどんな賞をとったか、図鑑のように分厚いレポートが作成されるのです。

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私は幕府のパリ万博参加を研究するにあたり、このレポートをずっと探していました。実はそもそも、このレポートの存在自体、あるかないかわかっていませんでした。しかし、別で研究した明治年間開催のメルボルン万博レポートの現物を偶然読んでいたので、パリ万博のレポートもあるはずだと思っていたのですね。パリの古本屋さんをあちこち尋ねまわったところ、別の年代のレポートの存在はいくつか確認できたのですが、1867年のレポートだけ、どこにもありませんでした。

ところが、日本に帰国して一か月も経たないうち、ネットオークションにこのレポートが出ているのを、ある人が教えてくれたのです。すぐに入札し、無事に落札することができました。そうして届いたのがこの本です。

辛いのが、パリで開催された万博のため、レポートがすべてフランス語で書かれていることです。そこでフランス語を勉強し、どうにか辞書を引きながら、多少解読できるようにはなりました。しかし亀の歩みのため、全部はとても読めません。ありがたいことに、このレポートにはイラストもたくさん入っていて、日本のイラストもいくつかあるので、ときどき開いては、イラストだけ眺めて楽しんでいます。小説の資料とするのはもちろん、純粋な興味から、いつか最初から最後まで読破したい、最高峰の難読本です。

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よく研究書に使用されているイラスト。右隅に「JAPON」という看板がかかっているのが見えます。

 

大正年間の留学生の絵葉書

私の曽祖父は、大正時代にヨーロッパへ留学しています。その研究も細々と進めているのですが、その大きな助けになっているのが、曾祖父の家族や友人たちの間でやり取りされた、大量の絵葉書です。当時の人は、今のメールやラインのように、一言だけさらりと書いて、絵葉書を送ったりしているのですね。近況を知らせるのはもちろん、自分が訪れた場所をシェアする目的で風景写真の絵葉書を使ったり、ちょっと気取ってドイツ語や英語で書いてみたり。昔の文字なので読むのに骨は折れますが(何語かわからないと、もうお手上げです)、読み取れたとき、「よかったねー」とか「きれいだねー」とか、顔も知らない曾祖父とお話しているような気分になります。

個人情報も載っているため、このブログに絵葉書を掲載することは控えますが、一つだけ、曾祖父の文章の一部をご紹介します。当時、ロンドンで日英博覧会が開催されていたのですが、その感想を次のように綴っています。

「保守頑固堅牢実質大規模沈着尊攘親切自由、之が英国人ノ気質ヲ形作ッテ居ル。百年位昔カラ、世界中ノ珍ラシイモノヲ集メテ実用ニ採テ居ルカラ、年中数沢山ナ博覧会ガ開ケテアルカラ、日本人ガ身ヲ入レテ居ル割合ニハ、日英博ヲ大シタ事ト思テ居ラヌ。」

ちょっと皮肉っぽい見方ですが、曾祖父が肌で感じたことなんでしょう。当時、日本はイギリスと同盟関係にありました。アジアの台頭に伴い、イギリスが「栄光ある孤立」を捨てて、アジアの一か国である日本と手を組んだ、言わば日本にとって「栄光ある同盟」です。日英博覧会は、日英同盟の条約更新の1年前に行われています。イギリスとの同盟関係を維持しようとする日本の気合の入れようが、見ていてわかったのかもしれませんね。

ところで、絵葉書には当然送り元と送り先が書いてあります。つまり、曾祖父の住所がわかるということです。でも私は、Google mapでその場所を調べることはしません。コロナが落ち着いたら、実際にヨーロッパへ足を延ばして、曾祖父が住んだ場所や観光した場所をめぐってみたいと考えています。そしていつか、曾祖父が残してくれた貴重な言葉を、本にまとめることが目標です。

 

歴史史料というのは、本来研究のため、あるいは適切な保管のため、公共の性格を持つ場所に置いておくべきであって、コレクション目的で個人所蔵するものではないと、私は考えています。しかし、自分の好きなものを手元に置いておきたくなるのも、人間の性です。今回紹介した3点のうち、最初の2点は比較的貴重ではない、複数作成されている史料ですし、最後の1点は、私が持っているのは撮影データのみで、現物は公共の場所で管理されているので、私はまじめに研究を続けているご褒美として、自分に所持を許しています。そして実際、私の研究や創作に、大いに役立ってくれています。

最初の2点の史料には少なくない金額を払っていますが、いつか必要がなくなったら、然るべき場所に寄贈するつもりです。それが、この時代まで生き延びてきた史料それ自体の価値を、尊重することになると思うからです。

 

夏川夕

 

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