夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

戦前の「鬼滅」映画

こんにちは。

夏川夕です。

 

今週のお題】「最近見た映画」、本当に最近観たザック・エフロンの『17 again』について書きたいのですが、【今週のお題】は、なるべく歴史学に沿って書くと決めているので、歴史学に無理やりつなげます。

さて、『鬼滅の刃』のアニメ映画が大流行ですね。順次、世界各国でも上映予定だとか。世界で人気の高い日本アニメですが、戦前の日本がつくったアニメはご覧になったことありますか? どこでどう保存していたのか、YouTubeに結構掲載されているのです。中でも、「1936 日本アニメ」で検索すると出てくる『絵本1936年』は、当時の価値観がうかがえて、非常に興味深い戦前の日本のアニメ映画です。この記事では、どのような価値観が見えるのか紹介していくので、以下を読む前に、ぜひ一度、YouTubeを開いて「絵本1936年」を観てみてください。8分足らずのとても短い映画です。

 

◆あらすじ◆ 映画を観られない人のために。

おもちゃたちが遊ぶ島に、コウモリに乗ったミッキーマウスのようなキャラクターがあらわれ、「シマヲアケワタセ」と命じる。おもちゃたちが抵抗すると、コウモリやヘビ、ワニなどが大挙して襲い掛かってくる。そこでおもちゃたちは絵本に住む桃太郎に助けを求め、桃太郎の呼びかけに応じて、牛若丸や一寸法師、浦島太郎など、おとぎ話の主人公たちが、次々に絵本から飛び出してくる。おとぎ話の主人公たちは、それぞれ陸軍と海軍を模して戦争を繰り広げ、ミッキーマウスに似た敵将には、雉に乗った桃太郎が、空中での一騎打ちを仕掛ける。金棒で応戦する敵将に苦戦する桃太郎だが、雷の力を借りて、敵将を空から地に落とし、浦島太郎の玉手箱でよぼよぼの老人に変えてしまう。平和を取り戻したおもちゃたちは、桜咲く島で踊り、勝利を祝う。

 

今観ると、凶暴な顔をしたミッキーマウスが敵であったり、軍事色が強かったりして、なかなか衝撃的な場面が続くストーリーですね。

『絵本1936年』は、1934年に公開された映画です。太平洋戦争が始まる7年前ですね。まだ民間レベルでは、太平洋戦争の想定はそれほどされていなかったころですが、タイトルにはちょっと、その可能性がにじみ出ています。なぜこんな予言めいたタイトルなのかというと、1934年の日本は、国力はありつつも、国際社会では孤立が目立ち始めていたからです。

まず国力の面から言うと、当時の日本は日清戦争日露戦争第一次世界大戦と勝ち続け、戦争では負け知らずでした。西洋諸国の植民地だらけのアジアにあって、独立しているばかりか、経済的にも軍事力的にも、西洋諸国と肩を並べている唯一の国だったのです。そんな日本は、西洋諸国からすればちょっとウザく、でも仲良くしておくと便利な国です。ウザいというのは、1900年代当初は、白人至上主義の終わりかけだからです。白人の国ばかりが大国である中、いわゆる黄色人種である日本が世界の列強に並んでいるのは、妙な感じがするわけですね。一方で、アジアに友好国を持っておくのは西洋諸国にも悪い話ではありません。ヨーロッパはアジアにたくさんの植民地を持っていましたが、そこで事件が起きたとき、わざわざ本国から兵隊を送るのは大変なことです。しかし日本と友好関係を結んでおけば、日本に軍隊を出してもらうことができます。実際、1900年に中国で起きた義和団の乱の鎮圧には、関係国はほとんどヨーロッパ諸国でありながら、日本の軍隊が一番多く参加しています。

そんなわけで、西洋諸国と日本の関係は、比較的蜜月状態が続いていたのです。しかし1932年に日本が満州を事実上植民地化してからは、少し空気が変わってきます。日本は、言ってみれば西洋諸国と同じように、アジアに植民地を作ったにすぎないのですが、やりかたが少し強引で、時代遅れでした。第一次世界大戦を経験した西洋諸国では、戦争はもうやらずに現状維持でいこう、という空気があったのに、日本は逆走して領土を広げたのです。

国際連合に似た組織・国際連盟は日本を非難し、日本はその非難に挑戦するように、国際連盟の脱退を表明しました。これが1933年のことです。国際連盟を正式脱退するのは、1935年の予定でした。映画が公開されたのは1934年、ちょうど中間の年ですね。

ここまでくればおわかりのとおり、敵将のミッキーマウスは西洋諸国を象徴しています。ミッキーマウスは、当時の日本の子供たちも知られていたようなので、子供たちにわかりやすい西洋のアイコンとして適切だったのかもしれません。子供たちが親しんだ西洋のアイコンに襲われるという構図により、これからの国際社会における、日本の危機感みたいなものを見せているのです。

この敵将は、西洋のアイコンであると同時に、明らかに鬼として書かれています。日本の鬼というのは、とてもざっくり定義すれば、「外から来たもの」あるいは「内とは相いれないもの」です。もっと簡単に言うと、「外国人」と「異端者」です。この映画の場合は、前者の「外国人」ですね。敵将は、島のリーダーの桃太郎の2倍はあり、背の高い西洋人というイメージと、人間離れした体格を持つ鬼というイメージを両立させています。おまけに牙とぐりぐりした目を持ち、金棒を振り回すというのは、典型的な鬼のイメージです。

敵将の仲間が、ヘビとワニというのも象徴的です。ヘビもワニも、日本では神に歯向かうものとして強く想起されます。ヘビはヤマタノオロチとしてスサノオノミコトに倒され、ワニはワニザメとして因幡の白兎の皮を剥ぎます。突っ込んでしまえば、白ヘビは神の使いとされたり、海神の正体はワニザメとされるなど、一概に悪とも言えませんが、子供たち目線で見れば、教科書にヤマタノオロチ因幡の白兎も載っていた時代ですから、ヘビ&ワニ=悪と解されるでしょう。また、敵将が乗るコウモリだけは、日本ではそれほど悪とされることもないのですが、イソップ物語ではどっちつかずの動物であったり、悪魔の羽であったりと、ここだけ西洋のイメージを流用しているのかなと思います。

いずれにせよ、ヘビとワニとを従えた敵将により、外国人=鬼という方程式を成立させているわけです。国際社会で孤立していく日本の恐れのようなものが垣間見えますね。

 

ここからは少し、未来的な視点に立って『絵本1936年』を読み解きます。

この『絵本1936年』で面白いのは、戦争の描き方です。争いは次のように進みます。

①敵が「シマヲアケワタセ」と命じ、攻撃を仕掛けてくる。

②おもちゃたちは絵本の表紙をたたき、桃太郎を呼び出して助けを求める。

③さまざまなおとぎ話の主人公が飛び出し、敵軍に進む。

④敵軍は上陸してくるが、爆弾や戦車で応戦する。

⑤空中では、蜂がコウモリの大群に応戦する。

⑥雉に乗った桃太郎がコウモリに乗った敵将に一騎打ちを挑む。

⑦雷の力を借りて敵将を雲から地面に落とす。

⑧浦島太郎が玉手箱を敵将に向け、老人に変化させる。

①で攻撃を仕掛けられたとき、おもちゃたちはただ慌てふためくばかりで、②のように桃太郎へ助けを求めにいきます。そのときのやりとりは、次の通りです。

おもちゃ「なにとぞお助けくだされませ」

桃太郎「オーケイ」

ずいぶん軽い感じがしますね。おもちゃは桃太郎に平身低頭しているのに、桃太郎は「よしわかった」とも言わず「オーケイ」と英語で応じています。このころ、別に「オーケイ」という言葉は禁じられていません。これはおそらく、当時の日本人が軍隊に感じていた、スマートさ、強さ、横柄さがあらわれたものではないでしょうか。軍隊は外国との交流も仕事のうちなので、英語やその他の外国語も学ぶため、「オーケイ」と軽く使う軍人は多かったのかもしれません。

続く③で飛び出してくる絵本の主人公たちは、陸軍と海軍に分かれ、それぞれBGMには軍歌がかかります。勇壮な雰囲気です。軍帽をかぶった浦島太郎は、「東郷平八郎」の署名がある垂れ幕を掲げ、日本がロシアを下した日露戦争を想起させています。

④⑤では、1932年に英雄とうたわれた爆弾三勇士を彷彿とさせるキャラクターや、第一次世界大戦から使われ始めた戦車が活躍します。爆弾三勇士は、当時中国で起きていた日本軍と中国軍の戦闘の最中、爆弾を抱えて鉄条網に突入し、命と引き換えに突破口を開いた三人の兵士をたたえたものです。子供たちの間では、ごっこ遊びになるほど人気のアイコンでした。戦車は、一台でヘビの大群に挑むところが示唆に富んでいます。鉄の少ない日本では、戦車や飛行機の大量生産はできません。このことは日本の弱点として民間にも知れ渡り、1930年代には、物資の統制が始まりかけていました。無数の戦車で敵に挑んでいく日本軍というのは、想像できなかったのかもしれませんね。

⑥でコウモリの大群を蜂が倒した後、⑦で桃太郎と敵将が一騎打ちを始めます。ここは未来的な視点で見たとき、一番面白いポイントです。

今の自衛隊は、陸自、海自、空自の3つで成り立っていますが、当時の日本には空軍がありませんでした。陸軍と海軍それぞれで飛行機を開発し、パイロットを育て、陸軍航空隊と海軍航空隊をつくっていたのですね。これは、国家予算を陸軍と海軍で取り合っていたことから起きた弊害です。空軍をつくるとなれば、配分される予算がさらに減るので、陸軍と海軍で別々に航空隊を作らざるを得なかったわけです。ですから、コウモリを倒す蜂が陸軍なのか海軍なのか、はっきりしません。コウモリを倒していくシーンでは、蜂の姿ははっきりせず、どこか遠慮がちに描かれています。

そして残った敵将に、雉に乗った桃太郎が一騎打ちを挑むのですが、これも当時の戦争イメージがわかりやすく反映されています。ここでの一騎打ちは、おそらく日本古来の武将同士が一騎打ちして勝敗を決する戦いと、近代に入ってからの戦艦同士の戦いをブレンドしてアレンジしたものです。

日本古来の戦い方というのはわかりやすいですね。川中島の一騎打ちなど有名ですが、武将同士が戦い始めたら、周りは戦うのをやめて、その勝敗を見守るというのが、日本の戦におけるルールのようなものでした。また戦艦同士の戦いというのは、当時の日本では日露戦争のイメージが強いと思いますが、戦艦同士が弾を撃ちあい、沈め合って、退いた方が負け、というものです。これは国際的なルールです。戦艦というのは、その国の科学と予算をつぎ込んでつくられるものですから、その結晶である相手の船を沈めることにより、相手の国力そのものを否定するという論理になるわけです。

ところがこの日本の戦ルールと国際的な戦艦一騎打ちルールは、太平洋戦争で覆っていくことになります。第一次世界大戦から続く国家総力戦のスタイルと、飛行機の主力化のためです。第一次世界大戦は、機械の戦争とも呼ばれ、トラックや戦車などが登場した戦争です。つまり、兵隊や物資が輸送しやすくなったために、戦線が広がり、補給が続いてしまうためにいつまでも終わらず、国家が持てるものすべて注ぎ込まざるを得なくなったのです。国家代表の一騎打ちで勝敗を決するのではなく、数対数で、数が0になった方が負けというふうになったのですね。さらに、科学を結集するのは戦艦であったはずが、小回りが利き、陸上にも海上にも攻撃しやすい飛行機に、重点が変わり始めます。1934年は、まだその過渡期です。過渡期ゆえ、敵将も桃太郎も飛行機に乗って登場するのに、途中で乗り捨てて雲に足を踏みしめて一騎打ちするという構図に仕上がっています。飛行機は新しい武器という認識はあるものの、まだ戦術的な使い方が固まっていないのですね。

これは、日本の歩む道を知っていると、とても歯がゆい構図です。日本は太平洋戦争で、飛行機を使って初めは勝利を重ねますが、戦艦同士の対決の夢を捨てきれなかったために、同じ飛行機によってぼろぼろに負けてゆきます。「日本一」の旗を掲げる桃太郎を象徴するような、巨大戦艦大和・武蔵が、飛行機によって沈められたのは有名な話です。大和と武蔵に投じた資金を飛行機に使えば、太平洋戦争の勝機は増えたかもしれないと言われています。

アニメ映画の中では、桃太郎は無事に、敵将に一騎打ちを挑みます。金棒を使う、鬼と化した敵将に押され気味の桃太郎ですが、相撲のように敵将を投げ飛ばし、雲の下へ落とします。すると、雷があらわれて敵将をつつき倒し、地面にまで追い落としてしまうのです。外国人=鬼を下した瞬間です。少し形相がおとなしくなった鬼に、浦島太郎がとどめを刺します。玉手箱の白い煙で、老人に変えてしまうのですね。⑧のシーンです。

この老人に変えてしまうのも暗示的だと私は思います。このころはまだ、大東亜共栄圏という言葉はありませんでしたが、東亜という言葉はありました。つまり、東アジアの国々という意味で、植民地をアジアに持つ西洋諸国は「外の者」とみなされています。西洋を象徴する鬼を老人に変えるのは、「外の者」につくられた体制はもう古く、それを追い出そうという考えにほかならないのではないでしょうか。ここにも、「外の者」=鬼という概念が成り立ち、鬼を退治する=西洋諸国をアジアから追い出すと拡大解釈ができるわけです。

つまり、『絵本1936年』は、外国人=西洋諸国=鬼を、日本やアジアから追い出そう、という(無意識の)理想がちりばめられた、プロパガンダ映画というわけです。

 

いかがでしたか? 今、日本中で上映中の映画とは、同じ「鬼滅」がテーマでも、方向性はずいぶん違いますね。今の「鬼滅」は、鬼を滅しつつも、そこから一歩進んで、相いれない鬼をどう受け入れていくか、ということに重点がおかれていると思います。それはつまり、異文化との共生を目指すことであり、鬼を滅してしまった100年前のアニメ映画には達成できなかったことです。現代の「鬼滅」は、今まさに私たちが考えるべきテーマを、100年前より、手渡してくれているのです。

 

 

 

なお、最近見た映画『17 again』は、コメディとしてもラブストーリーとしても、とてもとても面白かったです。今あるものを喜びとともに迎えるという結論は観ていてほっとしましたし、ザック・エフロンを始めとするキャラクターたちは個性が強く、どのシーンも最高に楽しめました。笑いたいときにおすすめの映画です。

 

夏川夕

 

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