夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

1866年11月26日の天気は、晴れかくもりか、調べるべきか

こんにちは。

夏川夕です。

 

現在、ブログ少なめ、仕事少なめ、小説多めを意識して日々生活しています。とはいえ、本を読んだり、部屋の片づけをしたり、新しい仕事を探したり、何となく小説に専念しきれません。

なんでかなと考えたのですが、それはどうも、私が「時代小説は正しい史実を伝えなければならない」と思い込んでいるからのようです。例えば1866年11月26日の夜のシーンを書いているとします。夜空を見上げる主人公を「月明かりが照らす」とき、その夜の月は上弦か下弦か、主人公が住む横浜の天気は晴れていたか曇っていたか、と調べなければ、私は嘘を書いているような気分になってしまうのです。

こう書くと矛盾しますが、時代小説にしろ歴史小説にしろ、究極的には嘘が混じるものだと私は思っています。嘘はつまり、フィクションです。いくら史実に沿おうとしても、実在の人物同士の会話は、一言一句、そのとおりには書けません。もちろん歴史小説・時代小説とは、そのことを書き手も読み手も理解したうえで楽しむものです。でもフィクションをどこまで許容するかは、結局書き手の線引きによると思うのですね。

1866年11月26日夜間の天気まで調べるべきか否か。

歴史小説の名手・吉村昭なら当然調べ、その天気が主人公に与える影響まで考えるでしょう。時代小説の大家・池波正太郎なら、本当の月がどうであるかより、日本から消え去りつつある江戸時代の夜景の美しさを描写することと思います。

私自身について言えば、時代小説は今まで数本書きましたが、それでも、自分がどちらを優先させたいのかわからなくなるときがあります。できるだけ史実には沿いたいけれども、ひとつひとつ調べていては立ち止まってばかりになるし、ときには物語の進行そのものを変更しなければならない。相反するこの葛藤は、とてもストレスです。

一度、小説の構成を考えるノートに、言い聞かせるよう、こう記したことがあります。

「私は歴史の研究書を書くのではない。小説を書いている。小説は、面白いことが大前提だ」

 頭ではこう理解しているのです。しかし、面白さをとるべきか、史実をとるべきか、未だに心は定まりません。

とはいえ、1866年11月26日の天気を調べるなんて、そうそう簡単にできることではありません。運よく資料が見つかればいいですが、見つからなければ、たった一文字を見つけるためだけに、大量の資料の山に、幾時間も費やすことになってしまいます。そんな調子で執筆を続けていたら、私のような凡人が小説を書きあげるころには、すっかりお婆さんになっているでしょう。

結局、面白いものが勝ちます。この場合の面白いというのは、読み手にとってではなく、書き手にとってです。1866年11月26日の天気を調べることが面白ければ、調べればいい。しかしその調査は、私には苦痛にしか感じられないでしょう。だったら、自分が書きやすい天気を設定するしかありません。

 

いつも、こんな風に自分をなだめながら、執筆を続けています。いつか思い切り取材をして、「全部史実でできています」と言える小説を書けたらな……と思いますが、夢物語に終わりそうです。

 

夏川夕

 

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