夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

歴史学で、「急に寒いやん」となるとき

こんにちは。

夏川夕です。

 

今週のお題】「急に寒いやん」……って難しいですね。「やん」というからには、関西なのかな? それとも若者言葉?

歴史学的に、「急に寒いやん」で連想するのは、やっぱり裏切り行為です。それまで蜜月状態だったのに、急に寝返ってどうした……となるのは、歴史としてはわりとよくあります。その中でも、源義経にまつわるエピソードには、少なくとも3回の裏切りが起こっています。ご紹介しましょう。

 

源義経は、出自は源氏棟梁の息子だとはっきりしているものの、歴史に姿をあらわすまで、何をしていたのかよくわからない人です。京都の鞍馬寺に預けられていたはずが、どういう伝手をたどってか、いつのまにか奥州平泉の藤原氏のもとで庇護を受けています。奥州藤原氏というのは、金も侍もたくさん抱えている、源氏にも平家にもちょっと手を出しにくい一族でした。そんなところで安全に成長した義経は、やがて兄の源頼朝を助けるために、関東へ向かいます。頼朝が、ちょうど平家打倒の兵を挙げていたからです。生き別れていた兄弟の再会は、平家打倒という共通目的も相まって、涙溢れるものであったと史書には記録されています。

源頼朝のもとで、義経はすばらしい働きをして、平家を追い詰めていきますが、同時に頼朝をも追い詰めることになります。京都の公家の間でも、源氏の侍の間でも、義経の人気が出すぎて、源氏棟梁としての頼朝の存在感がかすんでしまったのです。頼朝は、義経に取って代わられることを恐れ、平家討伐の後で、義経を追討することを決めます。義経にしてみれば、手を取り合って源氏の再興を誓い合った兄が、まさか自分を敵視してくるとは思っていなかったでしょう。ここに、第一の裏切りがあります。

頼朝の軍に追われる義経は、嵐で自軍を失ってしまいました。尾羽枯らして逃げ込んだのが、古巣の奥州平泉です。藤原秀衡が治める陸奥の都で、義経は頼朝に対抗する準備をはじめます。ところが、老体だった秀衡は病死し、息子の泰衡に奥州の統治権が移りました。泰衡に対し、頼朝は義経を差し出すよう圧力をかけ続け、泰衡はそれに屈して、頼朝に従うことを選んでしまいます。奥州の冬が終わりかけたある日、泰衡は義経を急襲し、その首を討ちとります。

泰衡は、父の秀衡から、義経の言いつけを守り、義経に従うよう遺言されていました。義経は幾度も自軍を勝利に導き、戦の天才と言われていたので、彼に奥州の侍たちの指揮を任せれば、頼朝とも互角に戦えるという目算があったのですね。

ところが、泰衡は父の遺言に背いて、500人で義経の館を取り囲むのです。対する義経側は、腹心の10人ばかりのみ。いかに戦の天才といえど、数で負けては対抗しようがなく、義経は自害に追い込まれます。義経にしてみれば、泰衡の裏切りは青天の霹靂だったでしょう。第二の裏切りです。このエピソードは、武将としては天賦の才に恵まれながら、概して不遇な人生を送った義経の気の毒さを増すものです。

泰衡は義経の首を送ることで頼朝へ恭順の意を示しますが、頼朝はとりあわず、機を得たりとばかりに平泉に大軍を送り込みました。こうして、東の都とうたわれた平泉は滅び、泰衡は討たれて、その首は柱に打ち付けられて晒されることになるのです。頼朝の軍に追われる泰衡は、頼朝に宛てて弁明書のようなものを送っています。父秀衡は確かに義経をかくまっていたが、自分は頼朝の意に沿って義経の首をあげた、なぜ頼朝に追われなければならないのか。泰衡にしてみれば、頼朝に裏切られたも同然の状況だったのです。これが、第三の裏切りです。

もう誰も信じられなくなりそうな、裏切りに次ぐ裏切りの物語です。しかし、もう一つ、隠された裏切りがあったとする説もあります。実は、恭順を示した泰衡こそが、頼朝を裏切っていたのではないかというのです。

義経北行伝説という伝説を聞いたことはあるでしょうか。つまり、義経は平泉で死んだと見せかけ、北海道に渡ったのではないかというのですね。それが発展したのが、源義経=チンギス・ハン説です。

=チンギス・ハン説は置いておくとして、北行伝説だけでも、一見、荒唐無稽に思えますが、平泉から北海道までの各地に残る義経伝説は、おおむね一本の線で結べることで有名です。普通、「生きていたらいいのに」という願望から生まれる伝説は、関連性のない各地に散らばる傾向があります。しかし義経の場合は、足跡のように、平泉から北海道まで、まっすぐ伸びているのです。

なぜ義経が北海道へ逃げたのかというと、頼朝と戦うための軍を求めて、アイヌ民族や中国騎馬民族の力を借りに行ったという説や、奥州藤原氏が隠し持っていた金鉱へ軍資金を取りに行ったという説があります。つまり泰衡は、義経が軍なり軍資金なりを得て戻ってくるまでの時間稼ぎをしていただけで、本当は裏切っていない、むしろ協力していたのだという物語になるのです。この第四の裏切りは、私はむしろそうあってほしいと思っています。

 

いかがでしたか? 義経北行伝説は、調べれば調べるほど、本当に思えてくる、あるいは本当だと信じたくなる、ロマンティックな伝説です。私は現地調査の目的で奥州を幾度か訪れていますが、特に義経が北海道へ渡ったとされる竜飛岬は、海の向こうに青くかすんだ北海道を臨む、妙に説得力のある場所でした。

昔のことを調べていて、「急に寒いやん」となるときほど、その裏には隠されたものが存在すると私は考えています。それを見つけ出すのが、歴史学です。なぜなら、人と人の間の空気が変わるには必ず理由があり、その理由こそが、歴史を動かす重大な因子となるからです。

 果たして、源義経にまつわるエピソードにおける最後の裏切りは、義経にとっての「急に寒いやん」だったのか、それとも義経・泰衡がタッグを組んだ、頼朝への挑戦だったのか。真相は、歴史のみが知ります。