夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

「宇宙戦艦ヤマト」に見るリメイクの功罪

こんにちは。

夏川夕です。

 

「あなたの好きな映画トップ3をあげてください」と言われたら、間違いなくランクインするのが、『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』です。私自身はリアルタイム世代ではないのですが、ドンピシャ世代の父と一緒に、「宇宙戦艦ヤマト」シリーズはすべて観ました。その中で、『さらば』は別格に印象に残っています。なぜ『さらば』が印象に残ったかというと、私が演出というものの効果を生まれて初めて実感したからなのですが、それは今回置いておきます。今回は、「宇宙戦艦ヤマト」シリーズのリメイクから考えたことについて、書いていきたいと思います。

 

宇宙戦艦ヤマト」シリーズのオリジナル版は、1974年にTV放映され、その総集編を映画館で上映したことによって爆発的な人気を得た作品です。それから10年の間に、TVシリーズは3本、スペシャル版が1本、映画版は4本製作されています。ストーリーとしては1983年に完結するのですが、時を経た2009年に続編の映画が製作されました。しかしこれは絵柄やBGMなどがそれまでのシリーズと全く異なり、私はオリジナル版とは別物としてとらえています。

オリジナル版の「宇宙戦艦ヤマト」シリーズは、ストーリーとしては完結していますし、関係者も何名か亡くなられているので、もう映画館で観ることはできないものと私は思っていました。ところが、2012年に、オリジナル版のリメイクが製作されたのです。ストーリーやキャラクターはオリジナル版に沿いつつ、新しいサイドストーリーやキャラクターが加えられ、今風の美しい絵柄でのリメイクでした。話数はオリジナルと同じ全26話、それを7回に分けて、映画館で上映するというものでした。

生まれて初めて、オリジナルに近い「宇宙戦艦ヤマト」を映画で観られる嬉しさに、私は何度も映画館へ足を運びました。慣れ親しんだ音楽や効果音、見たことのある構図、聞いたことのあるセリフ、それを大画面と大音量で楽しめるなんて、本当にリメイクされてよかったと、私は思っていました。あまりの嬉しさに、同じ話を、2週間で4回観に行ったこともあります。

ところが、その嬉しさは、話が進むにつれて、少しずつ消えていきました。リメイク版と名乗りながら、ストーリーはオリジナルから徐々にずれ、違和感が増していったのです。主観的にいろいろ意見したい点はあるのですが、客観的に言って、私が特に疑問を覚えたのは、主人公・古代進の性格の変更と、戦争に対する主張の変化です。

 

宇宙戦艦ヤマト」シリーズ通して主人公を務める古代進は、オリジナルでは血の気が多く、正義感の強い青年として描かれています。時には独断専行も辞さず、我を押し通すようなところもあります。それがときに仲間や年かさの者から指摘を受け、説教され、反省したり、それでも反抗したり、そんなところが魅力のキャラクターでした。ところがリメイク版の古代進は、自分の気持ちを抑え込んでも仲間優先で、協調性を大事にします。それが悪いことではないのですが、ストーリー通して、彼の主張は見えず、主人公でありながら、どこか傍観者のような印象を受けます。オリジナルの血の気の多さは、リメイク版では、むしろ古代進の親友である島大介に引き継がれ、本来ならば主人公が立ちまわるであろうストーリーの場合でも、島にその座を譲るようなシーンもありました。

これは、ヤマトに乗り組む人々の群像劇にしたいという制作側の意図かもしれませんが、私には「なんだかおとなしい古代君」という印象で、理不尽も諦念を持って受け入れているようにさえ見えました。オリジナルの古代進であれば、ストーリー上課せられる理不尽に「なぜなんだ」と疑問を呈し、打開を探るでしょうが、リメイク版の古代進に、その瞬間はありませんでした。

特にそのおとなしさが顕著であったのが、恋人の雪が宇宙で爆発に巻き込まれ、助けに行くシーンです。これはオリジナル版にはないストーリーですが、オリジナル版の古代進であれば、間違いなく誰よりも先に戦闘機に乗り組み、爆発の残骸一つ一つを回って彼女を探すでしょう。ところがリメイク版の古代進は、艦内規律を気にして飛び立てず、仲間に背を押してもらってようやく探しに出かけたと思うと、激しい爆発の跡を見て、「俺には何もできない」と絶望する始末。こんな人が軍人で大丈夫なのかと、観ているこっちが心配になるほどです。

このリメイク版の古代進の反応は、戦争に対する私たちの意識の変化を物語っていると言えます。次に紹介する、オリジナル版とリメイク版で異なる、戦争に対する主張につながる部分です。

 

宇宙戦艦ヤマト」シリーズは、そもそも戦争をテーマにした物語です。ガミラスという星から放射能攻撃を受けている地球は、放射能除去装置を手に入れるため、宇宙戦艦ヤマトに乗って、イスカンダルという星へ赴きます。その途中で、当然ガミラスから妨害を受けるので、幾度も戦闘を繰り返し、結果的にガミラスを滅ぼし、放射能除去装置を手に入れて、地球へ帰還するというストーリーです。

「戦争はいけない」

この主張は、オリジナル版もリメイク版も同じです。しかしその描き方に、大きな差異があります。

オリジナル版で戦争に対する大きな主張がうかがえるのは、敵の本陣であるガミラス星で決戦をした直後のシーンです。ヤマトはたった一隻でガミラス星を滅ぼし、後にはその残骸が散らばっています。遺体が折り重なって倒れ、ガミラスの町は消滅し、ヤマトも大きな傷を受けています。その中で、古代の恋人である雪が、座り込んで泣いています。

「あたしにはもう、神様の顔が見えない」

泣いている彼女の肩に手を置き、古代進が言うのです。

「行こう、イスカンダルへ。ほかにどうしようもないじゃないか」

この「ほかにどうしようもない」というセリフが、私はとてもうまいなと思います。大きな感動が起こるわけではないのですが、戦争に対する無力感、争わなくとももっと他に方法があったかもしれないという後悔、しかし、勝利してしまった自分たちにできるのは、自分たちの道を前に進むことだけだという、リアルな人間の感情がにじみ出ているように思うのです。観ていて、そうだなとうなずかせる力強さが、このシーンには込められています。

一方、リメイク版にこのようなシーンはなかったように思います。実際、全26話を、少なくとも2回ずつは観たはずなのですが、ガミラスとの戦争がどのように収束したのか、私にはあまり記憶がありません。覚えているのは、ガミラス人とも友好関係が築けるというようなエピソードや、本陣へ殴り込みをかけるようなシーンだけです。つまりリメイク版は、戦争を描いているストーリーのはずなのにもかかわらず、肝心のところがぼやけてしまって、何を主張したい映画だったのかわからないのです。「戦争がいけない」というのは反射的にわかるのですが、なぜいけないかを伝えるエピソードやセリフ、シーンといったものが何一つ印象にありません。もちろん、おとなしいリメイク版の古代進が、戦争の理不尽や無為に声を荒らげることもありません。

最後の回を観た私は、言いようのない違和感を胸に、映画館を出ました。当初の熱狂はなく、「これでよかったのか」という後悔に似た疑問だけが残りました。

 

宇宙戦艦ヤマト」のみならず、今、巷にはさまざまなリメイク作品があふれています。私自身、「宇宙戦艦ヤマト」の後に、「魔神英雄伝ワタル」「セーラームーン」など、数々の思い出深いリメイク作品を迎えました。しかし正直に言って、どんなに美しくリメイクされていても、心から「よかった」と思えたものはありません。どこかに不満というか、違和感を覚えてしまうのです。初めは製作の仕方のせいかと思っていましたが、今は別に製作陣が悪いわけではないと考えています。問題は、ひとえに時の流れにあるのではないでしょうか。

作品が製作された当時、その作品が伝えたかったもの、表現したかったことは、その時代の持つ雰囲気や、求められているものにぴったりしていたのでしょう。しかし10年、20年経つにつれて、当時の消費者は大人になり、世の中の風潮も変化します。それはどこがよくなったとか、どこが悪くなったというものではなく、ただ時が流れたというそれだけです。しかし作品は年を取らず、いつか消費者の心の中の、「懐かしい」というカテゴリにおさめられ、そのまま愛されていきます。

ところがリメイクというのは、その作品のストーリーやキャラクターを、そのまま昔よりタイムトラベルさせ、現在に再構築する行為です。再構築されたものは、当然、似て非なるものになります。なぜなら、再構築するスタッフ自身が、作品が作られた当時からの時の流れを経験し、現在に生きる人々だからです。そのスタッフに再構築されたものは、材料は同じでも、継ぎ目やブレンド具合がオリジナルと異なり、場合によってはアレンジが加えられています。これが第一の違和感につながるポイントです。

一方、消費者の方は、全く同一の感動を得ることを願って、リメイク版を受容します。ところが、消費者の上にも年月が流れ、当時と全く同じ目線でリメイク版を見ることはできません。それは子供時代特有の目線であったり、時代の雰囲気もあったりするわけですが、そうした当時と異なる目線でリメイク品を見たとき、実際以上に、継ぎ目やブレンド具合の違いが目に付いてきます。これが第二の違和感につながるポイントです。

この二つのポイントにより、リメイク版をオリジナル版と同じ感動をもって受容することは不可能になります。つまり、その作品を愛した消費者は、当時と全く同じ面白さや感動を求めているわけですが、同一のものをつくることは、時が流れている以上、どんなに能力のある製作陣でも絶対に不可能なのです。

 

宇宙戦艦ヤマト」に話を戻せば、新しい古代進の性格も、戦争に対する主張の変化も、半世紀近く経ったゆえ、当然のこととして受け入れるべきなのかもしれません。むしろ、半世紀近く経っても、一分違わず同じ主張をしているならば、世の中が何も進歩していないともいえるからです。(それでも、「ヤマト」に関して言えば、そこまで変更する必要はあったのかと主観的には疑問です。)

あえて言うなら、リメイク版というのは、昔、オリジナル版を観て熱狂した人々と再びつながり、また、新しいファンを受け入れるための受容装置なのでしょう。その意味では、確かに私は、とても楽しかったです。映画館でヤマトを観るという夢も叶いましたし、ヤマトについて語り合える友人もできました。いくつかのシーンでは、本当にわくわくドキドキさせられました。リメイクしてもらってよかったと思う部分も、確かにあるのです。

 

リメイク版を楽しむ秘訣は1つです。

今の私も、そして作品それ自体も、もう昔の私たちではないと、受け入れること。そのうえで改めて、リメイク作品とどう向き合うか、決めてゆけばよいと私は思います。