夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

『あしながおじさん』に見る日本。「日米開戦」の言葉の真意とは。

こんにちは。

夏川夕です。

 

ジーン・ウェブスターの『あしながおじさん』は、20世紀初頭のアメリカを舞台に、家族のいない女子学生ジュディが、大学の資金を払ってくれている名も顔も知らない男性に、手紙を書き続ける物語です。

プロローグをのぞき、すべてジュディの手紙のみで語られる物語には、「日本」という言葉が2度登場します。

1度めは、ジュディが2年生のときの5月4日付の手紙、次のような内容です。

先週の土曜日は運動会でした。じつに盛会でした。まず全校生のパレードがあり、全員そろいの白麻の服をきて、四年生がブルーと金色の日本の雨がさをさし、三年生は白と黄の旗をもちました。わたしたち二年生は真紅のふうせんをもちました。

恩地三保子訳『あしながおじさん

日本の雨傘が、運動会のパレードに華を添える役として活躍しています。歌舞伎や宝塚などの舞台でも和傘はよく小物として使用されますね。大輪の花が咲いたような、花火が開くような感じが、「ザ・和」という雰囲気を醸し出して、舞台に合うのかもしれません。

和傘は、19世紀にヨーロッパで紹介されてから、ちょっと注目されていたようです。洋傘は布張りですから、紙張りの和傘が珍しかったのかもしれません。また、ヨーロッパでは傘と言えば日傘が主流で、雨傘をさす習慣ができるのは18世紀の終わりごろのようですから、雨をはじくためにつくられている日本の傘は、余計に注目されたのかもしれませんね。1889年に発表されたジェロームの『ボートの三人男』にも、小さなボートに積み込んだ数少ない荷物として、わざわざ「日本の傘1本」と記載してあるほどです。

 

2度めに日本が出てくるのは、運動会のすぐあとの夏休みで、8月10日付の手紙です。

それに、郵便屋さんは、世界中のニュースを話してもくれます。配達区域のなかに新聞をとっている人が何人かいるので、郵便屋さんはまわって歩くとちゅうでそれをよんでは、とっていない人に話してくれるのです。ですから、もしもアメリカ合衆国と日本とが戦争をはじめたり、大統領が暗殺されたり、ロックフェラーがジョーン・グリアー院に百万ドルをおくったりしたようなことがあっても、わざわざお手紙をくださらないでもいいんです。どうせ郵便屋さんからききますから。 

恩地三保子訳『あしながおじさん

 私は、この「アメリカ合衆国と日本の戦争」を、ずっと1941年の太平洋戦争のことだと思っていました。ところがちゃんと確認してみて、『あしながおじさん』が書かれたのは、1912年ということを知りました。つまり、アメリカと日本はまだ戦争をしておらず、太平洋戦争につながる一連の事件、満州事変とか日中戦争といったものも、まだ何一つ起きていない頃なのですね。

なぜ、このような予言めいた一文が書かれているのでしょうか?

気になって調べたところ、どうやら「黄禍論」というアジア人種排斥論が原因のようです。

 

黄禍論の大もとは、1800年代にさかのぼります。1800年代は、ざっくり言って、欧米諸国がアジアやアフリカに植民地を増やす時代でした。蒸気機関が発達したこともあって、欧米諸国がアジアやアフリカに植民地をつくっても、本国にちゃんと利益を持ってくることができるようになったからですね。日本の開国や、清とイギリスのアヘン戦争などもこのころです。

ところが1800年代の終わりごろから1900年代に入ると、アジア人、特に日本人と中国人が、逆流入のような形で欧米諸国に渡り始めました。日本や中国は、欧米諸国と不平等な条約を結ばされていたこともあって、欧米の科学技術をものにしたい、欧米社会に入りたいという意志が強く、留学や移民のかたちで、どんどん欧米諸国へ入って行ったのです。

特にアメリカは移民社会であったことや、ゴールドラッシュや開拓の推進などが起きていたことから、初めに中国人、次に日本人が、次から次に移住してきて、1900年代初頭には移住にストップをかけるような状況でした。大挙してやってきたアジア人は欧米人より安い賃金で働き、結果的に欧米人の雇用機会を奪うことになりました。

もともと、欧米社会には「アジアは未開の地。彼らに文明を施す欧米社会」という概念がありました。ところが実際にアジア人を欧米社会に受け入れてみると、欧米人のみで構築されていた経済を蝕むようなことになったわけです。

こんなことからアジア人排斥運動が起き、黄色人種を禍々しいものとしてとらえる「黄禍論」が沸き起こったのです。

「黄禍論」はアジアと欧米の対立を招きました。それでもまだ、欧米諸国の方が優勢だったのですが、日露戦争で日本がロシアに勝利したことで、ひっくり返ります。未開のアジアの島国が、古い大国であるロシアを負かしたのは、現実問題としても、概念の問題としても、大変な革命でした。

そんな中でもアメリカはしぶとく、市場の拡大が見込まれる中国へ進出しようとして、日露戦争の和解の場を仲介しました。1905年に終わった日露戦争は、中国大陸における日本とロシアの利権争いです。アメリカはちょうど大陸横断鉄道の工事中だったので、その延長として中国にも同じような鉄道を敷設して、両方に恩を売ろうとしたのですね。しかし、仲介役はうまくこなしたものの、鉄道の敷設については断られました。

目論見が外れたアメリカは、日本にもロシアにも怒りを燃やします。特にアジア人である日本人に対しては、積もり積もった恨みを晴らすように、1913年にカリフォルニア州外国人土地法という法律を制定して、事実上、日本人がアメリカで農業ができないようにしています。

1913年というのは、『あしながおじさん』が書かれた1年後です。つまり、『あしながおじさん』が書かれた当時は、「黄禍論」がしきりにささやかれて、日本人排斥法までが準備されていた、いわば日米戦争が起こってもおかしくない情勢だったのです。

ジュディの文章を見ると、日米戦争と同列にあげられているのは「大統領暗殺」と「ロックフェラーが特定孤児院に寄付」の2つです。1912年の時点で暗殺されたアメリカ大統領は27人中3人で、ロックフェラー氏は実際に様々な慈善活動を行っています。ジュディがあげているのは、「まあなかなかありえないだろうけれど、起きてもおかしくない」と言えるくらいの、絶妙な例だというわけですね。

ちなみに、『あしながおじさん』が書かれた以降、1963年にケネディ大統領が暗殺され、ロックフェラー氏は1913年に福祉財団を設立しました。日米戦争が1941年に起こったことはご存じのとおりです。ジュディは何の気なしに書いた言葉かもしれませんが、結果的にすべて本当になっている、予言のような言葉ですね。

 

ふとした疑問から調べ始めましたが、幼い頃から読んでいる『あしながおじさん』の中に、これほど日米の歴史が詰まっているとは思いませんでした。私は外国で書かれた本に「日本」の文字を見るのが好きですが、ちゃんと調べてみると、思いがけない発見があるものですね。

 

あしながおじさん(新潮文庫)