夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

『火星のプリンセス』に見る東洋趣味

こんにちは。

夏川夕です。

 

エドガー・ライス・バロウズの処女作、『火星のプリンセス』は、強い・イケメン・優しいの3拍子そろったヒーローと、芯の通った、美しく理想的な女性であるヒロインが、火星という魅力的な舞台で恋と活劇を演ずる、スペース・オペラの代表です。

そんな『火星のプリンセス』が、東洋趣味に溢れていることはご存じでしょうか。

 意外と日本人は気づかない、『火星のプリンセス』に見る東洋をご紹介します。

 

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所蔵の『火星のプリンセス』。50年くらい前の本で、ぼろぼろです。

 

◆あらすじ◆

アメリカ・バージニア生まれのジョン・カーターは、死に瀕した瞬間、体が宇宙に解き放たれて、火星に降り立つ。地球の筋肉は火星で6倍もの力を発揮し、怪力と跳躍を手に入れたカーターは、獰猛な緑色の肌の種族に捕らえられた美しい赤銅色の肌の王女、デジャー・ソリスに恋し、彼女を救うため、火星の枯れた海の底を駆け巡る。

 

バロウズが『火星のプリンセス』を執筆したのは1911年から1912年にかけてです。

このころの日本は明治時代末期、1905年に日露戦争でロシアに勝利し、1910年にイギリスで日英博覧会を開催するなど、日本の存在が国際社会に浸透し始めたころでした。

 

そのせいか、『火星のプリンセス』には、東洋の中でもとりわけ日本を想起させる部分が多くあります。例えば、ヒロインであるプリンセス、デジャー・ソリスの描写は次の通りです。

彼女の顔は面長で、えもいわれぬほど美しく、目鼻だちはひとつひとつが彫りが深く繊細で、つぶらな目は輝いている。波打つ漆黒の髪をふんわりと一つにまとめて、風変わりだがよく似合う髪形に結いあげている。

小西宏訳『火星のプリンセス

黒髪を一つにまとめ、風変わりに結いあげるのは日本髪の特徴です。実際、江戸時代末期に日本を訪れた外国人の多くが、日本女性の髪形に注目しています。

ティリーというイギリス人は、日本女性について次のように書いています。

座って話を交わしているときの彼女らの手や腕の動きはとくに優美だ。ゆたかでかなり硬い黒髪は結われて頭の後部で盛り上がり、金銀や象牙などのほそいかんざしが沢山挿されている。

渡辺京二『逝きし世の面影』 

また、リンダウというスイス人は、次のように書いています。

娘さんたちの歯は世界中で一番美しいし、目は優しく、眉は黒く弓型になっている。奇麗な卵型の顔にすらっとした背丈、しとやかな体型、素朴でときには著しく上品な物腰が混じり合っている。

渡辺京二『逝きし世の面影』 

ティリーとリンダウの日本女性の描写を組み合わせると、どことなく、デジャー・ソリスの面影が浮かび上がってきませんか?

ティリーが書いている「金銀や象牙などのほそいかんざし」も、火星人がよく身に着けていると描写される、豪奢な装身具を彷彿とさせます。

 

もう1点、日本を想起させるポイントは、火星人が常に裸身であることです。デジャー・ソリスの様子は、次のように書かれています。

彼女は、そばについている緑色人と同様、衣服を身につけていなかった。りっぱな装身具をつけているだけで、あとは一糸まとわぬ裸身だった。その均整のとれた申し分のない肢体は、なまじ衣装をつけていないだけにいっそう美しかった。

小西宏訳『火星のプリンセス

現在の日本人は、もちろん衣服をつけないまま公道を歩くことはありません。しかし温泉や共同浴場などでは、人前でもそれほど抵抗なく裸になれますよね。江戸時代末期の日本では、このハードルはもっと低かったようで、家の前の往来で行水したり、その最中に知り合いに出会うと、裸のまま話し込んだりといったことが、比較的普通に行われていたようです。

西洋文化では、人前で裸を見せることは禁忌でしたから、こうした日本の光景は、訪れた外国人にはショッキングなものでした。

しかし、日本に好意的な人物には、次のようにとらえられています。

日本人は、生活の事情上やむを得ないときには、裸体を恥しく思わない。恥しいのは、こうした事情のないのに、ただみえをはっていろいろな欲望を起させることである。

渡辺京二『逝きし世の面影』 

もちろん、日本人が人前で裸をさらすことについてよく思わない外国人もいて、しばしば外国人同士の議論の種となっていたようです。議論があるということは話題が広がりますから、日本=裸体を恥ずかしく思わない国、というイメージが、当時の西洋には定着していたのかもしれませんね。

 

さらに、火星人がテレパシーを操ることも、日本の「察する文化」を彷彿とさせます。『火星のプリンセス』の中では、火星人たちは必要最低限の言葉のみ交わし、もっと多くの情報は、互いの心を読み合って補足しています。

私たち日本人は、心を読みあうとまでは思っていませんが、「○○してほしいです」とはっきり言わずに、「○○していただきたく……」のように言葉は省略したりしますね。時には、「それはちょっと……」の一言だけで、反対なんだな、と理解したりします。

こういう会話は、確かにはたから見ると、互いの心をテレパシーで読み合っているように見えるのかもしれません。

 

ほかにも、火星=日本を始めとする東洋をモデルにしていることが、『火星のプリンセス』の描写の端々に見て取れます。

盗難がほとんどなく、自宅に鍵をかけない習慣があること

先祖をうやまい、折に触れてその加護を祈ること

あふれる金や銀の細工物や宝石の数々など(これは完全にイメージですが)

 枚挙にいとまがありません。

 

もし、『火星のプリンセス』を読むことがあれば、ぜひ東洋の面影を探しながら読んでみてくださいね!

  

 

ちなみに、『火星のプリンセス』の映像化作品については、ディズニー作の『ジョン・カーター』が有名ですが、アバター・オブ・マーズ』という邦題でも映像化されています。物語はかなり脚色されてB級映画に近いものになっていますが、火星人の仕草や鎧の感じなどには、東洋が強く意識されています。