夏川夕の作家生活

歴史と異文化をテーマに小説を書いています。出版賞に挑戦中。

【この記事が常にトップです】夏川夕の読書記録:2021年1月1日~更新中

こちらは、2021年に夏川夕が読んだ本をリストアップしています。

小説に限らず、研究書や漫画も載せています。

随時更新中です。

  

最終更新日:2021年9月24日

 

#名刺がわりの「本」10選はこちら。

 

 

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【青天を衝け】ペルゴレーズの館は現存するか【徳川昭武】

こんにちは。

夏川夕です。

 

『青天を衝け』、いよいよパリ編に入りましたね。私は大学1年生の夏休みに、大学図書館の書庫で徳川昭武に出会って以来、ずっとこの辺りの幕府外交について勉強してきました。更に勉強した幕府外交を物語のかたちにしたくて、徳川昭武を主人公に据え、今まで2回小説を書いています。ですから今回の大河ドラマは、当然初めて見るシーンばかりなのに、小説を書くために想像していた景色に似たシーンがたくさんあって、まるで自分の小説が映像化されたように楽しんで観ています。その一方、万博会場でのJaponとRyu-Kyuの展示場所の位置関係や、ナポレオン三世との謁見の様子など、自分一人で調べたり想像するにはどうにも限界のあった点についていくつか疑問を解消することができ、勉強資料としても大変ありがたいドラマです。

 

さて7月11日放送の第22回では、渋沢栄一が昭武のパリ用の住まいを借りる一幕がありました。公式サイトでは「ペルゴレーズの館」と称され、360度ビューが公開されています。細かいところまで設定されていて、大変興味深いです。昭武の寝台など、私には思いつかない様式で、なるほどなと思いました。

この「ペルゴレーズの館」ですが、Twitterや個人サイトなど見ていると、「今でもパリに現存する」などと記載されているものがいくつか見られます。確かにパリは空襲もなく、例えばドラマ中で渋沢が見ていた皇帝ナポレオンの墓や廃兵院(アンヴァリッド)は、今でもほとんど当時のままの姿を見られるようです。昭武たちが宿泊したLe Grandというホテルも、現在も当時と同じ、オペラ座の隣に建っています。しかし昭武の「ペルゴレーズの館」が現存するという話については、私はいくつかの理由から、長年疑問を持っていました。せっかくなので、この機会にとりまとめてみようと思います。もし何か情報をお持ちの方がお出ででしたら、ご提供いただけますと幸いです。

  

そもそも、「ペルゴレーズの館」が現存するという話は、どこから出てきたのでしょうか。私は、宮永孝氏が書いた『プリンス昭武の欧州紀行』がその発端ではないかと考えています。というか私が知る限り、書籍のかたちでは、この本以外に「ペルゴレーズの館」が現存するという話は出ていないように思うのです。この本は2000年刊行で、タイトル通り、昭武のフランス訪問とその後の外交および留学生活についての入門書のようになっています。写真や図版も多く、それほど歴史が得意でなくとも読みやすい1冊です。問題の文章は65ページから始まります。

……昭武主従はパッシー区ペルゴレーズ五三番地に転宿した。新しい住居は、凱旋門にも近く、閑静な高級住宅地のパッシー街とマラコフ通りとが交差するところにいまもある。この建物は現在、共同アパートとして用いられているようである。

ペルゴレーズ通りの53番に建物があること、それが現在共同アパートであるのは、私も現地まで行って確認しています。次の写真が現存するとされている建物です。

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正面に見える建物ですね。真ん中に入り口があり、ここからコの字型もしくはロの字型になっている建物に入れます。現在は普通に人が住んでいるアパルトマンなので、中には入れません。

現存の建物と比較したのは、名古屋の蓬左文庫が所蔵している『徳川民部大輔様フランス國パリ御旅館ノ圖』です。簡単に言うと、昭武が住んでいる館の見取り図です。私は以前、蓬左文庫からコピーを購入していて図は手元にありますが、権利関係がよくわからないので、ここに掲げるのは控えます。もし掲載してもよさそうであれば、後日、この記事内に掲載します(『青天を衝け』公式サイトにも、松戸戸定歴史館所蔵の図が掲載されています。ちょっと小さいのですが、よければそちらをご参照ください)。

 

さて、現存の建物と当時の見取り図を比較したうえで、私は現存の建物が昭武が本当に住んだ建物であるか疑問を持っています。主な理由は、次の4点です。

①現存する建物は6階(もしくは5階)建てであるが、『徳川民部大輔様フランス國パリ御旅館ノ圖』によれば、昭武が住んだ建物は3階建ての可能性が高い。

②『徳川民部大輔様フランス國パリ御旅館ノ圖』によると、建物の内側に馬車置き場と7頭の馬を繋げられる厩があるが、現存の建物の扉は大きくなく、馬引きの馬車で入れるか怪しい。

③『徳川民部大輔様フランス國パリ御旅館ノ圖』に記載されている「御門」の横の「通用門」が、現存の建物には見えない。

④『徳川民部大輔様フランス國パリ御旅館ノ圖』によると、裏庭が「アヘニュードアンベラトリース」もしくは「第五十番」に接しているが、現存の建物の裏手は通りには接しておらず、50番地もない。

 

順に説明していきます。

まず①ですが、現存の建物は明らかに5階建て、もしくは6階建てですね。見取り図の方は、1階と2階が並べて描かれてあり、2階の図の下部に、「△印之所三階アリ略之」と書かれています。この書き方ですと、昭武が住んだ館には三階が部分的にしかなかったように読み取れますね。ただ、図中に△印は2か所あり、どちらにも階段が描かれていて、ここから三階に上がれるよ、とも読めるので、これだけでは現存の建物と一致しないことの証拠にはなりません。

次に②は、現存の建物の写真だけでもわかりやすいかと思います。現存の建物の門は、高さはありますが、横幅はそれほどありません。手前の車と比較していただくと、車が通るのはちょっと無理じゃないかな、という幅であるのがわかると思います。馬車は車よりは多少小さいかもしれませんが、それでも二、三人並んで座れる幅を考えると、現存の建物の門は狭すぎるようです。

③は明らかです。現存の建物には、門は一つしかありません。しかし見取り図の方には、正面の「御門」の右に、「通用門」とはっきり書いてあるのです。後で通用門を閉鎖したにしても、現在の門の両側の窓は シンメトリーになっているので、全体を作り替えなければ、このような配置にはならなそうだとわかりますね。②の馬車のことがあるので、「御門」と「通用門」を潰して現在の門のかたちにした、ということもなさそうです。現在以上に門が狭かったとなると、ますます馬車は通れなくなってしまいそうです。

④はちょっと難しい問題です。まず見取り図の方を見ると、建物の裏手は庭になっていて、その一辺のわずかなところを指して、「第五十番 アヘニューアンベラトリース」という記載が見えます。建物の表側の方には、通りに沿うように「ペルゴレーズ街 第五十三番」と記載されているので、「第五十番 アヘニューアンベラトリース」も地名をあらわしているのだとわかります。「アヘニューアンベラトリース」というのは、今は「アベニューフォッシュ」と名前を変えている大通りです。ここまでは調べたらすぐにわかります。ところが、本来なら地域を特定しやすいこの表記が、かえって館の位置を何ともややこしくしているのです。

まず「アヘニューアンベラトリース」の記載についてですが、現在のペルゴレーズ53番の裏手には、確かにフォッシュ通りが通っています。ただし、現在の53番と通りの間には別の建物が建っていて(あるいは現存の建物がロの字型になっていて)、通りには接していません。見取り図の方は少なくとも裏庭の一部が通りに接していることになっており、無理に図と現実を一致させれば、庭がめちゃくちゃ広かった、もしくはフォッシュ通りが現在よりもっとペルゴレーズ側に寄っていたことになります。次に、「第五十番」の記載ですが、現在のフォッシュ通りの50番は、ペルゴレーズ53番とワンブロック挟んで同じ並びにあり、どう描いても見取り図のようにはなりません。これも無理やり解釈すれば、当時の50番と今の50番の位置が違う、もしくは図を間違って描いたか、大幅に略したことになります。

真相はわかりませんが、どういう理由であれ、見取り図と現存の建物は、周辺との位置関係が一致していません。この事実により、この辺りで区画整理があった可能性、あるいは少なくとも、当時の建物は取り壊されている可能性が補強されます。補強しないのは、「第五十番 アヘニューアンベラトリース」までのワンブロック分を、間違えたか略したかしているときだけです。しかし、自分の住んでいる建物の位置を間違えたり、わざと略したりするというのは考えにくいですね。

 

こうした4つの理由から、私は現存の建物と昭武が住んだ建物は別のものではないかと考えています。繰り返しになりますが、現存の建物が昭武の住んだ建物そのものである、と断定しているのは、私が知る限り、宮永氏の本だけです。氏がどうしてそう断定したのかという根拠は見つけられず、ひょっとしたら私が知らない決定的な資料があるのかもしれません。もしそういうものがあって、現存説が本当なのであれば、当時の建物が現存していて嬉しいと素直に思いますし、もし間違っているのであれば、現状誤った情報がネットに散見されますので、今後訂正されればいいなと思います。

なお、氏の『プリンス昭武の欧州紀行』は、私に徳川昭武を教えてくれたいくつかの本の内の1冊であり、この本との出会いがなければ、私はこの記事を書いていなかったと思います。今回の大河ドラマがよりよくわかる参考書にもなりますので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください。

 

 

 

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2400年のアメリカに日本人登場。E.R.バロウズ『The Red Hawk』の感想&解説

こんにちは。

夏川夕です。

 

<月シリーズ>最終巻、『The Red Hawk』を読み終えました。1巻がバロウズパターンの裏返しの物語、2巻はバロウズの思想の物語としたら、3巻はバロウズの趣味全開の物語と言えます。バロウズの書く主人公は、火星や地底世界やジャングルなど、数々の世界で王者になってきましたが、<月シリーズ>では、とうとうアメリカ大陸の王者が誕生します。

今回も、どんどんネタバレしていくので、未読の方はご注意ください。

 

 

 

第1巻・2巻の感想&解説はこちらです。↓

natsukawayu88.hatenablog.com

natsukawayu88.hatenablog.com

 

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<月シリーズ>第3巻の物語

『The Red Hawk』は、第2巻から300年余りも未来の物語となります。第2巻の終盤でジュリアン9世が起こした革命が発端となり、アメリカ人はカルカール人をアメリカ大陸の東端と西端に追い詰めます。物語の舞台はアメリカの西端で、東端との連絡はなく、「東端にもカルカール人の残党がいるらしい」とだけ語られています。

アメリカの文明レベルはほとんど古代にまで戻り、「かつて鉄の鳥が飛び、鉄の家が動いていた」ことがインディアンにより語られますが、アメリカ人たちは神話としてとらえ、信じていません。天動説を信じ、世界は平坦だと考え、「カルカール人を海に追い出せば、彼らは世界の端から落ちてしまう」と、カルカール人をアメリカ大陸を追い出すのが、主人公・ジュリアン20世の目標です。その拠り所は<The Flag>と呼ばれる星条旗で、アメリカ国旗であるという由来も失われていますが、アメリカ人たちは先祖から受け継いだものとして、星条旗を偶像のように崇めています。

ジュリアン20世が率いるアメリカ人の集団と、皇帝オー・ティスが率いるカルカール人の集団は、100年もの間、山を挟んで膠着状態になっています。アメリカ人が水の少ない荒れ地に住む一方、カルカール人は肥沃な海辺に住んでおり、ジュリアン20世はそれが不満です。ジュリアンは海を見たことがないのですが、祖父のジュリアン18世がかつてカルカール人の土地を冒険し、「一日馬で行けば海が見える」と言い残していました。そのたった一日の距離を詰めるのに100年かかっていると、ジュリアンは考えます。

ジュリアン20世は、肥沃な土地をカルカール人から奪い、アメリカ人の土地にしようと決め、大規模な戦争を仕掛けます。戦争の混乱の中で、ジュリアン20世は逃亡するカルカール人の中に迷い込んでしまい、捕らえられてしまいます。皇帝オー・ティスはジュリアンに和平を申し入れますが、ジュリアンは突っぱね、彼の処刑が決まります。ところが処刑を待つ牢の中で、ジュリアンはもう一人のオー・ティスと出会います。彼はカルカール人の中にありながら純血のアメリカ人であり、カルカール人とアメリカ人の間に生まれたオー・ティスに玉座を奪われた、本物のオー・ティスだと名乗ります(ここ、物語的にちょっと矛盾していると思うのですが、後で考えてみます)。ジュリアンはオー・ティスを憎むよう教育されていますが、このオー・ティスに思うような嫌悪感は抱けず、彼と協力して牢を逃げ出します。

逃亡の中でオー・ティスと別れたジュリアンは山に迷い込み、山の上から初めて海を見て、次いで山に住む日本人と出会います。日本人もまた、カルカール人を憎んでおり、ジュリアンはカルカール人を海に追い込む決意を新たにします。

一族の元へ戻ろうとするジュリアンは、カルカール人に追われている娘・べティルダを助けますが、彼女も本物のオー・ティスの一族の者でした。べティルダに恋したジュリアンは、オー・ティスの一族を好きになってしまった自分を責めますが、彼女を放っておけません。一族の元に帰るより、再びカルカール人に攫われてしまった彼女を助ける方を選び、単身カルカール人の邸宅へ乗り込みます。そこへ本物のオー・ティスの知らせによりジュリアンの一族が駆けつけ、元はオー・ティス一族のものであった邸宅を、カルカール人から奪い返します。

ジュリアンはベティルダに愛を告げ、ここにジュリアンとオー・ティスの数百年に及ぶ確執は解消されます。ジュリアンはアメリカ大陸の王となり、ベティルダはその妻に、そして二人の子は、次の王であることが約束されます。それから2年後、アメリカ人はカルカール人を海へ追い出し、カルカール人は世界の端から落ちてしまうか、あるいは地球が丸いなら、アメリカ大陸の東海岸へ戻って来るだろうと予言されて、物語は幕を閉じます。

 

バロウズがサーガに与えた結論

<月シリーズ>第3巻は、話はシンプルなのに、何だか評価の難しい作品です。いつものバロウズパターンなのに、舞台が異世界ではなく地球であるということが、物語をシンプルに受け取れなくなっている原因かと思います。地球の物語ということは、他人事ではなく、私事になりますものね。おそらくバロウズの中でも、次のような葛藤があったのではないかと思います。

アメリカ人(地球人)にカルカール人を結び合わせたくない

アメリカ人の王者をつくりたい/あるいは主人公は王者になるべきだ

③ジュリアンとオー・ティスの確執を昇華させたい

①はとても難しい問題です。カルカール人は第1巻から登場していますが、月世界の堕落した民族として書かれ、地球を征服してからも、一貫して尊敬できないヴィランとして扱われています。地球人とカルカール人の間に子供はつくれる設定であり、ジュリアンのライバルであるオー・ティスも、カルカール人の女性との間に子供をもうけ、その子孫が脈々と皇帝の座を受け継いでいます。ジュリアンの宿敵は、ヴィランヴィランが掛け合わさったものというわけです。物語のセオリーとしては、ジュリアンがこのヴィランの混合した者を倒すか、和解するかのどちらかになります。

ところが、バロウズの「アメリカ人とカルカール人を結び合わせたくない」という希望(?)により、物語はどちらの道も選択しません、<純血のオー・ティス>という者があらわれて、<ジュリアン対オー・ティス&カルカール人>であった物語の構造が、<アメリカ人対カルカール人>に置き換わっているのです。<純血>ということは、オー・ティスはカルカール人のほかに、地球人の女性とも子供をつくっていることになります。<純血>のオー・ティス一族は何百年もカルカール人と共に生活をしているのですが、そんな状態で<純血>を守れるのか、ちょっと怪しんでしまいます。

②はバロウズの趣味でありつつ、物語の構成としてもセオリー通りになっていると思います。王者を倒した者が次の王者になるのは自然界では当たり前のことで、オー・ティスは第1巻から王を名乗っていますから、彼を倒したジュリアンが次の王になることに違和感はありません。

しかし問題は、この物語はアメリカという国を舞台にしているということです。アメリカはご存じの通り、「人間が支配できるのは自分自身だけである」という理念のもとに建国された、いわゆる自由と平等の国ですから、星条旗を掲げて王になるのは、日本人の私でもなんだか違うように思えてしまいます。しかもジュリアンが皇帝オー・ティスを倒すシーンは描かれず、玉座についていない<純血>のオー・ティスが、ジュリアンを王だと認めるだけなので、いま一つ達成感みたいなものがなく、ジュリアンが玉座に着くには説得力に欠けているんですね。アメリカ人の王をつくりたいが先行したのかなーとも思えてしまいます。

③は①と②を下敷きにしたうえでの話になります。ジュリアンとオー・ティスは、第1巻からライバルとして描かれ、互いに認めるところがありつつも、気に喰わない存在というのが強調されています。第3巻でのジュリアンは、先祖から受け継がれた後天的な嫌悪感をオー・ティス一族に抱いており、皇帝オー・ティスのジュリアンに対する感情も同じに見えます。しかしそれは、ジュリアンやオー・ティスの個人的な嫌悪感というよりは、アメリカ人とカルカール人という、民族的なところに根差したものの方が強いように感じます。一方、<純血>のオー・ティスはカルカール人に嫌気がさしているので、ジュリアン一族に加わることを望んでいます。ジュリアンも、<純血>のオー・ティスが思ったほど嫌な男ではないと感じています。有体に言えば、勝負はもうついてしまっている感じなんですね。

そこでバロウズは、オー・ティス一族の女性、ベティルダをジュリアンの相手役に登場させています。ジュリアンはベティルダに一目惚れし、ジュリアンとオー・ティスの結婚をもって、確執の解消と結論付けています。お話としてはシンプルできれいですが、何百年も続いた確執の結果にしては、ちょっとあっさりしすぎている印象です。

まとめると、500年に及ぶサーガである<月シリーズ>に対してバロウズが与えた結論は、「カルカール人との完全な別離」「アメリカにおける王の誕生」「恋愛による確執の決着」という3点でした。第2巻が当時の世相を映して面白かっただけに、いつものバロウズパターンをシンプルにアメリカに持ってきたこの結着の仕方には、少々疑問を感じざるを得ません。

ただ、カルカール人が西の海に逃げ出し、東から戻ってくるかもしれないという予言は、実に暗示的です。アメリカの王となったジュリアンの弟が呟くその言葉には、物語を大団円で終わらせてなお、バロウズが抱く危機感のようなものがほのかに見えました。

 

 バロウズの描く日本人

さて、そもそも私がこの<月シリーズ>を読もうと思ったのは、最終巻に日本人が登場すると聞いていたからです。以下の記事にも書いていますが、バロウズは東洋に愛着を持っていた節があり、それがバロウズの構築する異世界に、重厚な魅力を添えています。

natsukawayu88.hatenablog.com

『The Red Hawk』に日本人を登場させるにあたり、バロウズは日本について調べたか、あるいはもともと興味があって知識を持っていたのではないかと思えます。それほど、彼の描いた日本人のキャラクターは、当時の資料から抜け出てきたようにステレオタイプです。物語の流れに沿って追ってみましょう。

カルカール人の町から逃げて山の中に入り込んだジュリアンは、動物の皮をポールで支えた、小さな小屋を見つけます。この小屋は明らかにインディアン風ですが、ジュリアンは「とても小さい」と評しています。小屋からは男が顔だけを出しますが、ジュリアンは男の顔の位置があまりに低いので、男が座っているものと思いながら話をします。男は黒く太い髪をざんばらにしています。

やがて男は警戒しつつも小屋から踏み出してきますが、そこで初めて、ジュリアンは男が子供のように小さいことに気づきます。身長は1メートル前後と書かれていますが、当時の日本人としてもちょっと小さすぎますね。ただ、茶色の肌に覆われた筋肉はよく発達しているともあります。

ジュリアンは男に挨拶しようと手を差し出しますが、男はその意味がわからず、後退りします。これは明らかですね。握手になじみのない日本人の反応です。ジュリアンは男の警戒をなんとか解こうと微笑んでみせると、男も微笑み返し、「カルカール人は自分たちに微笑まないから」という理由で、ジュリアンを敵でないと認定します。

すると、安心して女子供たちも小屋から出てきて、ジュリアンを興味深そうに囲みます。そのシーンを少し引用してみましょう。和訳は私がしているので多少間違っているかもしれません。

彼らは人のいい好奇心いっぱいに、私の周りに寄り集まった。彼らは幸福で優しい、小柄な人々だと私にはわかった。……彼らは明るい茶色の肌をしていて、(インディアンとは)異なる形の頭と吊り上がった目をしていた。見目好い姿の小さな人々で……子供をかわいがり、一緒に笑うのがたまらないようだった。……女性はいつもおしゃべりしながら笑い、私をちらと見ては、手で覆いながらくすくす笑った。……彼らはとても幸福な人々のように見えた。

この描写はそのまま、外国人が見た江戸時代末期の日本の様子に当てはまります。日本人というのは、「笑い、子供をかわいがる、小さな民族」というのが当時の西洋におけるステレオタイプだったようです。バロウズがこの物語を書いたのは1920年代なので、日本も大正時代に入り、帝国として列強に連なっていますが、バロウズ自身はわざとか東洋への願いとしてか、執筆当時から見て50年前の日本を2400年のアメリカに配置しています。

彼らは「Nipons」と名乗り、先祖は遠い海の真ん中にある島に住む、「Mik-do」という巨人だと言います。Niponsは死んだらMik-doのそばに行き、一緒に暮らすというのを一種の宗教のようにしています。Mik-doは明らかにミカドのことです。

日本の象徴である「天皇」については歴史を通して様々な呼び方がありますね。今は「天皇」とか「陛下」が一般的ですが、古くは「大君」「大王」などとも呼ばれていました。江戸時代は、どうやら「ミカド」という言葉が一般的だったようで、幕末の徳川幕府の外交では、「ミカド」という言葉が「ショウグン」という言葉と共にイギリスやフランスに知られています。ひょっとしたら今でも、海外では「天皇」より「ミカド」の方が通りいいかもしれません。グリコのお菓子・ポッキーは、海外ではMikadoという名前で売っていますし、私がアメリカに住んでいたとき、やはり日本のシンボルは「ミカド」だと習いました。バロウズも、日本のシンボルは「ミカド」だと何かで読んだのかもしれませんね。

Niponsはジュリアンを助け、山道を教えてくれます。それどころか、ジュリアンを案内するとまで言い出します。とても思いやりのある人々だと書かれているんですね。

ジュリアンに山道を案内するため、Niponsはテントを崩し、荷物をすべて馬に積みます。Niponsの馬は普通の馬の半分くらいの高さで、もじゃもじゃとした毛並みを持ち、とてもゆっくり動くと描写されています。大きなお腹と特徴的な耳を持ち、頭も大きくて不格好です。気性は優しく、子供が足の間で遊んでいても踏みつけたりしない動物のようです。体が小さくてお腹が大きいのは日本馬の特徴だと思うのですが、「羊のよう」とまで書かれている毛並みは、どうなんでしょうか。このあたりは知識がなくてよくわからないのですが、家財道具を小さく圧縮して馬の背に詰むというのは、いかにも日本らしいなと思います。外国人が幕末の日本を見て驚いたことの一つとして、こまごまとした道具を使い分けて、一つの部屋を食堂としても寝室としても使用する、ということがあったようです。ヨーロッパやアメリカは、習慣的に用途によって部屋を使い分け、家具もそのように配置しますから、フレキシブルな日本家屋は印象が深かったようですね。子供たちが馬の脚の間で遊ぶというのも、「子供の国」とまで称された日本のイメージがよく出ています。

さて、このあともNiponsはジュリアンの水先案内人として活躍するのですが、物語が進むにつれてフェイドアウトしていくので、この辺りでやめておきます。

しかし、ここまででもわかるように、バロウズはどちらかといえば好意的に日本人を書いています。当時、アメリカから見た日本は、第一次世界大戦を一緒に戦った仲間ですし、列強の一つにも数えられていたため、共産主義国家のソ連に対するアメリカの前哨基地みたいな意味合いがあったかもしれません。日本は1905年の日露戦争で、ソ連の前身であるロシアに勝利してもいますね。そうしたイメージが物語の中で、共産主義を象徴するカルカール人に対する、ジュリアンの補佐役というNiponsの位置によく出ているように思います。

一方、アメリカ西部では日本移民の増加が問題になり、移民が制限されたり、土地の所有が禁じられるなど、排斥運動が強くなっていました。これはほとんど緩むことなく、日米関係は太平洋戦争に突入していきます。

そういう背景を鑑みると、この時期にこういうふうに日本人を物語に登場させてくれたことは、とても嬉しいことのように思えますね。

 

ひょっとしたら:あまりネームバリューがない理由

さて、このようにバロウズ世界を楽しみつつも、彼の思想を垣間見ることができ、更に日本人にとっては嬉しい物語構成になっていながら、この<月シリーズ>は<火星シリーズ>や<ターザンシリーズ>ほど広く認知されているシリーズではないように思います。日本における<月シリーズ>はほとんど絶版状態になっているようですし、図書館にもあまり見当たりません。英語版のペーパーバックも、値段からしてみると、プレミア付きの中古販売が中心なのかなと思います。日本でもアメリカでも、普通に書店に並んでいる感じは、あまりしないのですね。

物語の構成的にはバロウズの肝いりらしいのに、なぜ<火星シリーズ>や<ターザンシリーズ>に比べて、<月シリーズ>はこんなにネームバリューがないのでしょう?

その理由は、いくつか推測できます。1つは、物語中でのインディアンの扱いです。『The Red Hawk』において、インディアンは"Slave"と称されています。彼らは土地に属するので、土地がカルカール人に支配されていればカルカール人の、アメリカ人に支配されていればアメリカ人の召使として扱われます。物語としては、カルカール人に仕えていたインディアンが、支配者をアメリカ人に変えることで、アメリカ人は親切であるという証言者の役割を果たしていること、また土地に属する民族性を強調することで、戦う民族となったアメリカ人と対照的に、アメリカの大地に根差す民族というエキゾチックなロマンを掻き立てる役割を担っています。

しかし、アメリカ人が支配者でインディアンがその召使であるという構造は、今の時代では肯定しにくいものです。むしろ悪役の背景としてふさわしいものですね。物語中でインディアンが与えられている大地に根差す民族という役割も、土地を奪われた民族というイメージの強い今では、皮肉として受け止められやすいでしょう。

また別に推測できる理由としては、<純血>が最終巻のキーワードになっていることがあげられます。ジュリアンが和解したのは、カルカール人と共生しているオー・ティスではなく、アメリカ人の<純血>だと主張するオー・ティスです。この展開は、今の時代に生きる私たちには、少し消化不良に感じます。カルカール人と共生しているオー・ティスと和解してこそ、異文化の垣根を越えてわかり合うという、意味があるのではないと思うからです。しかしジュリアンはその道を選択せず、<純血>のアメリカ人が団結してこそカルカール人を大陸から追い出せると主張します。これも今の時代に生きる私たちにはやはり敵側の論理であって、味方のものとは受け止めにくいですね。

更に先にも述べていますが、ジュリアンがアメリカ大陸の王となる幕引きにも、違和感を覚える人は多いでしょう。王というのは、今の物語構成では独占と支配の象徴であって、むしろ倒されるべき存在である場合が多いように思います。文化の異なる異世界であれば、主人公が王になっても比較的受け入れられやすいのでしょうが、舞台が平等を謳うアメリカであるだけに、余計に違和感が増すのでしょうね。

こうした理由から、<月シリーズ>は世相を反映して面白い読み物であるのは間違いないのに、その面白さを純粋に享受するのには、現在は少し難しい時代に入ってしまったのかなと思います。とはいえ、私は個人的に、今の価値観を昔の物語に反映しようとする姿勢は好きではありませんし、むしろ当時の価値観を尊重して受け止めるべきと考えます。

<月シリーズ>は、今の価値観にはそぐわない点も確かにありますが、読み物としてはバロウズを知っていればこその面白さがあり、執筆当時の時代の空気を感じることもできる貴重な作品だと私は思います。この章で述べたような理由から、広く販売することは難しいかもしれませんし、確かに当時の価値観を不快に感じる人もいるでしょう。しかし、バロウズの他の作品を面白いと思う人なら、この作品は物語的にもメタ的にも、楽しめることは間違いありません。

日本語の本を手に入れることは簡単ではなさそうですが、無理ではありません。文章はいつものバロウズ節なので、バロウズをよく読む方なら英語でも難しくないと思います。たくさんの人に、ぜひ読んでいただきたい作品です。

 

 

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時代背景を知ると面白い! E.R.バロウズ『The Moon Men』の感想&解説

こんにちは。

夏川夕です。

 

エドガー・ライス・バロウズの<月シリーズ>第2巻、『The Moon Men』を読み終えました。話に聞いていたとおり、エンタメ一辺倒のイメージが強いバロウズの作品としてはかなり異色で、読者を楽しませるより、バロウズの主義主張の方に重きを置かれている作品です。第1巻の『The Moon Maid』は、バロウズパターンの裏返しのような物語でしたが、第2巻の『The Moon Men』は、バロウズパターンの<お約束>がほぼ見られない作品になっています。その理由を、物語が書かれた時代背景から考えてみました。

第1巻の感想&解説記事はこちらです。 ↓

natsukawayu88.hatenablog.com

この記事でも、ネタバレをどんどんしていくので、未読の方はご注意くださいね。 

 

 

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 <月シリーズ>第2巻の物語

『The Moon Men』は、史実を知っていると、ちょっとドキッとする始まり方をします。最初に知っておいていただきたいのは、この物語が連載されたのは1925年だということです。

大戦争」と呼ばれる戦争が1967年に終わり、世界の覇権はアメリカとイギリスの手に握られます。戦争の反動で平和を求める世界は、大幅な軍備縮小を進めていきます。各国が軍を持つ代わりに、国際平和艦隊と呼ばれるものが組織されますが、軍隊の訓練をしたり武器を持ったりすることは、忌むべきこととみなされる価値観が育ってゆきます。軍備縮小を進めるあまり、個人が15センチ以上のナイフを持つことさえ違法とされる時代になっていくのですね。

そんな中、『The Moon Maid』の主人公・ジュリアンが、月の王国の生き残りであるナー・イー・ラーを伴って地球に帰還します。そしてそれから数十年後の2050年、月の皇帝を自ら名乗ったオーティス/月世界の名前でオー・ティスが、突如大軍を率いて、月から地球にやって来ます。軍備をほとんど持たない地球は、たちまちオー・ティスに征服されてしまいます。

ジュリアンは国際平和艦隊を率い、オー・ティスを相打ちで倒しますが、月からは毎年700万もの享楽的な月世界人=カルカール人が送り込まれるようになり、世界はカルカール人に支配されてゆきます。その世界には、ジュリアンの子供とオー・ティスの子供もいました。『The Moon Men』は、その子孫たちの物語です。

2120年、『The Moon Maid』のジュリアンの玄孫にあたるジュリアン9世は、アメリカのシカゴにいました。カルカール人はアメリカ社会を完全に支配し、アメリカ人からあらゆるものを搾取します。作物や家畜は税という名目で取り立てられ、美しい女性もカルカール人に連れていかれてしまいます。アメリカ人たちは教育や宗教も禁じられ、抵抗の意志そのものが摘み取られてゆきます。自堕落なカルカール人は、ものを補修したり改善したりという考えがないので、アメリカ人さえその仕組みがわからなくなった電車や車は次々に使えなくなり、各町との通行はほとんど途絶え、ビルは崩れて、アメリカはフロンティア時代に逆戻りした文明レベルになっています。

こんな荒廃した社会で生まれ育ったジュリアン9世が、刷り込まれたカルカール人に対しての恐れを克服し、「アメリカ人」であり「一人の人間」であるという自覚を取り戻していくのが、この『The Moon Men』のメインテーマです。その拠り所になるのは、父親であるジュリアン8世が隠し持つ星条旗星条旗を持つこと自体が重罪になる世界で、ジュリアン家はアメリカへの忠誠と共に、星条旗を子孫へ伝えてきたのです。

世界に対して委縮しきっていたジュリアン9世は、星条旗の存在、宗教の分かち合い、両親や隣人の苦しみをもって、一人の「アメリカ人」として目覚め、カルカール人に抵抗する勇気を獲得します。その過程でジュリアンは美しい妻を得ますが、支配者オー・ティスもまた彼女を望みます。オー・ティスはジュリアンの妻を得るため、またアメリカ人としての自覚を潰すため、ジュリアンや彼の家族を苦しめます。ジュリアンは妻と両親を苦しみから解き放つため、星条旗の元に革命を起こします。

 

『The Moon Men』に見られる、「バロウズじゃない」感

さてこの<月シリーズ>ですが、第1巻の『The Moon Maid』はセルフパロディというか、いつものバロウズパターンを裏返しにしているような構成でした。しかしそのためにかえって、バロウズ節が失われていない物語でもあったのです。ところが第2巻の『The Moon Men』は、<火星シリーズ><ペルシダーシリーズ>で慣れた身からすると、話の運びがどうも「らしくない」感じがして、面白いのですが少なからず戸惑いも感じました。

そのポイントは、大きく言って次の2つです。

①主人公の素性が明らかにされている

②主要人物が死ぬ 

順番に説明していきます。

まず①についてですが、少なくとも<火星シリーズ><ペルシダーシリーズ>では、主人公の素性ははっきりしません。アメリカ人であることは間違いないのですが、両親や兄弟姉妹についての話が一切出てこないのです。<火星シリーズ>のジョン・カーターに至っては、「子供の頃の記憶がない」とまで言い切っています。それが、彼らのヒーローとしての存在感をいや増しているのですね。素性が不明であるというのは、神話にもよく使われている手法で、その人物の神聖さを高める効果があります。

ところが『The Moon Men』の主人公ジュリアン9世は、両親と一緒に暮らし、<子供のころから知っている>人物や風景が頻出します。神格化されていないのです。むしろヤギを飼い、市場に出かけるなど、俗っぽい描写が目立ちます。彼がヒーローらしい働きを初めてするのは、物語の中盤に差し掛かったころで、それまではあえて<普通の青年>として描写しようとする意志さえ感じます。

②もまた、「バロウズらしくない」物語のつくり方です。<火星シリーズ>や<ペルシダーシリーズ>では、どんなにピンチな展開があっても、主要人物が死ぬことは絶対にありません。勧善懲悪の物語とわかっているので、ある意味安心して読めます。

ところが『The Moon Men』では、ジュリアンの友人だろうが両親だろうがどんどん死にます。物語の構成上、それほど必然性がなくても死にます。主要人物が死ぬことによって、アメリカ人がいかにカルカール人に追い詰められた状態なのかわかりますし、悲劇性も高まっていくので、一応物語の構成としてわからなくはありません。しかしバロウズがこういうふうに物語を構成するとは思っていなかったので、これにはかなり驚きました。

もともと、<月シリーズ>3部作は、この『The Moon Men』が最初にあったと言います。でもこの悲劇的な物語では、バロウズのエンタメ性を求めている読者には売れないと出版社が判断し、発表は許されなかったそうです。そこでバロウズは、<この物語を出版するために>、第1巻の『The Moon Maid』を書いたということらしいのです。そういう事情を知ると、『The Moon Maid』がバロウズパターンの裏返しという楽しみ方をできる一方、『The Moon Men』が「らしくない」と感じるのも理解できますね。

 ではなぜ、バロウズは物語を付け足してまで、この『The Moon Men』を出版したかったのでしょうか。その答えは、この物語が書かれた時代背景にあります。

 

『The Moon Men』が書かれた時代背景

 Wikipediaによると、<月シリーズ>第1巻の『The Moon Maid』が連載されたのは、1923年となっています。第1巻は第2巻『The Moon Men』の付け足しですから、バロウズが<月シリーズ>を構想したのは1923年より以前だと考えられます。

では、1923年以前の世界は、どんな世相だったのでしょうか。

まずマークすべきは、1922年の暮れに、共産主義国家の象徴となるソヴィエト連邦が誕生していることです。月世界から地球を侵略しにやって来るカルカール人は、明らかに共産主義を意識して書かれています。赤い旗、労働が報われない社会、土地は国家のものとする制度など、カルカール人がアメリカに打ち立てる社会は、共産主義国家に似た社会です。さらに、地球がカルカール人に征服されるターニングポイントとなったジュリアン5世とオー・ティスの決戦は、「2050年が終わるとき」、つまり年末に起こったと明記されています。アメリカが共産主義に屈服するのを、バロウズはこのようにデフォルメして書いているのです。

1922年には、もう一つ特筆すべきイベントが起きています。ワシントンで行われた軍縮会議です。軍縮というのは、文字通り軍備を縮小することで、アメリカ・イギリス・フランス・イタリア・日本の間で条約を結ぶという形で行われました。この5か国の共通点は、第一次世界大戦戦勝国であるということと、強い海軍を持っている国ということです。

1914年から1918年の間に起きた第一次世界大戦は、世界が初めて体験したかたちの戦争でした。それまで戦争と言えば、ある地域に限定して行われるもので、決戦で勝敗を決めたり、双方が消耗したところで話し合いで解決したりするものだったのですね。ところが科学の発展により、船や車の稼働距離が伸びたり、缶詰が発明され、遠い戦線まで物資を届けることが可能になったりしたために、戦線がどんどん拡大し、遠い国までが条約や同盟によって参加を始めたりで、壮大な規模の戦争になってしまったのです。

第一次世界大戦終結した後も、同じような世界戦争が再び起きるのではないかと考えられていました(そしてそれは、第二次世界大戦というかたちで実現してしまいます)。そこで、戦争が終わってもまだ力が残っている国、つまり第一次世界大戦戦勝国が、次の戦争に備えて、船をつくり始めたのです。当時はまだ飛行機はそれほど距離が飛べず、武器としては実用的でない時代だったので、戦争に投入する機械といえば船でした。そうして船づくり競争が激化していくのですが、船というのは造るのにも費用がかかりますし、また維持費がすごいんですね。船に乗せる船員を育て、動かすための燃料を常に備蓄し、人と船の訓練もしなければなりません。それが次第にどの国の予算も圧迫し始めてしまったので、軍縮会議が行われるに至ったわけです。

バロウズは、どうもこの軍縮が不満だったようです。平和を求めてゆきすぎた軍縮をしたがゆえに、地球は簡単にカルカール人に征服されてしまった、という話の運びにしています。また同時に、<国際平和艦隊>が征服を防ぎきれなかったということで、執筆当時に設立されていた、国際連盟も批判しています。国際連盟とは、第一次世界大戦の後、平和を推奨し、戦争を防止する組織として設立されたものです。アメリカはもともとこの組織には批判的で参加していませんでしたから、バロウズも国家に同調して批判したのかなとも思えます。

 

つまり『The Moon Men』というのは、共産主義国家が生まれる中、軍縮して自ら弱体化していくアメリカと世界に向けてバロウズが書いた、警鐘小説だったと読み取れます。史実としては、物語が書かれて二十年も経たないうちに第二次世界大戦が起きてしまい、軍縮は破棄されます。ソヴィエトはその後崩壊しましたが、共産主義国家・社会主義国家は、今でも資本主義国家と共に世界に存在していますね。執筆当時のソヴィエトの位置にいるのは、中国でしょう。100年も前に書かれたこの小説は、今の世相をさえ反映しているとも言えるのかもしれません。

物語の中では、アメリカ人のジュリアンは共産主義者のカルカール人に対して革命を起こしますが、<のろしを上げた>程度にとどまり、ジュリアン本人は敗北します。そして最終巻の『The Red Hawk』に続くのです。<バロウズパターン>を逸脱した物語が進む先には、なんと日本人もあらわれます。読み終え次第、第3巻の物語もご紹介するのでお楽しみに。

 

 

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国立歴史民俗博物館に見る、理想の博物館

こんにちは。

夏川夕です。

 

先日、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に行ってきました。以前、何かでジオラマがすごいと聞いたので、ジオラマ好きな私は一度見に行ってみたかったのです。ところがこの博物館、ジオラマもすごかったのですが、とても隅々まで気が配られていて、まるで博物館としての一つの完成形を見たようで、感動してしまいました。

私は大学時代、博物館学を少し齧りましたし、いくつかの博物館や美術館でバイトしたりもしました。また今まで、国内外の大小様々な博物館を訪れてきました。本来、博物館というのは貴重な資料や研究内容を人類のために保存・公開する場であり、人それぞれの好みはあっても、素人に優劣をつけられるものではないと思います。しかし、在り方としての博物館という意味で、こんなに見事だなあと思った場所は他にありません。

この記事では、国立歴史民俗博物館のどこにどうして感動したのか、いくつかのポイントに絞ってシェアしたいと思います。

 

 

 

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博物館は、佐倉城址の中にあります。昔は陸軍が駐屯していたようですね。

 

はじめに:国立歴史民俗博物館は、こんな施設

この施設は、大きく6つの展示室に分かれています。それぞれ古代・中世・近世・民俗・近代・現代がテーマになっていて、展示室内で、更に細かいテーマごとに部屋が分かれています。1つの展示室が小さな博物館くらいあって、すべてをじっくり見て周ると、1日では見切れないかもしれません。6つの展示室はそれぞれ独立しているので、好きな時代から見ることができますが、古代から順番に見て周ると、日本通史を視覚的に学べるという仕組みになっています。

 

ポイント①:レプリカの多用

ちょっと意外な点から入りますが、この博物館は、レプリカがとても多かったです。「あ、この資料ここにあったんだ~」と思ってラベルを見ると、だいたいレプリカでした。ちゃんと数えたわけではないのですが、感覚的には2つに1つはレプリカだったような気がします。そのくらい多かったんですね。

本来、レプリカの使用目的というのは2種類に分けられると思います。1つは、資料は博物館に保管してあるのだけれど、脆すぎて公開に堪えないので、仕方なくレプリカを作成するというもの。例えば、木簡や布製の衣装ですね。木や布は、ちょっと強い光で色を失ってしまったり、温度や空気の流れで、カビに侵されたり虫に食われたりします。すると公開する利点より、適切な場所に保管して、資料保全に努める利点の方が大きいと考えられますね。そうなると、本物は保管しておいて、公開にはレプリカを使うことになるわけです。

レプリカを使用する目的の2つめは、その博物館にはない資料なのだけれど、他の展示資料をわかりやすくするために、補足として用意する場合です。例えば、中世の日本と中国の仏像の類似性を示したい場合には、日本の仏像だけを展示してその類似性を文字で説明するより、中国の仏像を一緒に並べておいた方がわかりやすいですね。しかし、日本の仏像との類似点をわかりやすくするためだけに、わざわざ日本の中世時代の中国の仏像を手に入れるのは、実際的ではありません。するとレプリカを使用するのが、購入・保全という意味での金銭的にも、文化財の適材適所という意味でも、効率的になるわけです。

ところが国立歴史民俗博物館は、このどちらの目的にも当てはまらないレプリカの使い方をしています。つまりこの施設のレプリカは、それ一つだけで博物館がつくれるような、いわゆるメイン級の、教科書にも掲載されているような資料が多かったのです。有名なところだと、群馬県出土のハート形土偶とか、稲荷山古墳出土鉄剣ですね。「えーこれここにあったのー」と思って見ると、複製とかレプリカとか書いてある。あまりにそれが続くので、博物館の意図がわからないうちは、なんだか騙されたような気さえしたほどです。

しかし初めこそ少し戸惑いはしましたが、レプリカの多用は、そうと知ってしまえば貴重な資料を一度に見ることができる機会となり、とても面白い経験でした。

例えば稲荷山古墳出土鉄剣は、刃に刻まれた字句がごく初期の天皇について語っていると言われ、日本史に置いて重要な史料です。私はこの剣を教科書の写真でしか見たことがなかったので、何となく大きくて立派な剣をイメージしていました。ところがレプリカで見た鉄剣は意外に細く、刻まれた文字も小さくて、目を近づけなければ読めないほどだったのです。これは実際に見なければわからないことですね。

更に、稲荷山古墳出土鉄剣のレプリカの近くには、七支刀のレプリカも展示されていました。七支刀もまた刃に文字が刻まれていて、古代日本を知る貴重な史料です。これも想像していたより細く小さなものでしたが、面白かったのは、稲荷山古墳出土鉄剣と同じくらいのサイズ感であったことです。稲荷山古墳出土鉄剣と七支刀の本物は、それぞれ別の場所に保管されていますから、このように並べて見るのはレプリカでないとできません。つまりレプリカで並べてあったからこそ、二振りの刀が同じサイズ感であることを知ることができたわけです。

レプリカの多用は、何だかにせものを量産する行為のような気がして、私はあまりいいイメージを持っていませんでした。しかし国立歴史民俗博物館のような使い方ならば、教科書や研究書を読むだけではわからない学びを得られます。まるで新しい世界が開けたようで、私はこのポイントだけでも、本当に感心してしまいました。

 

ポイント②:ジオラマの多用

そもそも私がこの博物館を訪れようと思ったきっかけは、高度経済成長期時代の団地の一部屋が、館内に再現されていると聞いたからです。残念ながらコロナ感染防止のため、平常時には中まで入れるらしい団地の部屋は、外からしか見ることができませんでした。しかし予想していた以上に、この博物館は大小さまざまのジオラマで溢れていて、団地に入れなくとも、充分楽しむことができました。

普通ジオラマは、その博物館が立っている地域の昔の風景や鳥観図を写すことが多いものです。ところが国立歴史民俗博物館では、もっとフレキシブルな使い方をしていました。例えば古代日本の北辺であった多賀城周辺、平安時代の京の都、中世になって水運が発達した大坂周辺、徳川家が統治した江戸などなど、つまりいろいろな時代の日本全国の風景を見ることができたのです。また、縄文時代の生活風景をあらわしたり、中世の様々な職能を見せるのに、等身大の人形も効果的に使用されていました。更に、先述した団地や昭和の街並みなど、タイムトラベルを楽しめるような等身大の風景もつくられていました。様々な角度でジオラマを楽しむことができたわけです。

またジオラマとは少し違うのですが、昭和時代の展示室の壁がレンガ造り風になっていたことも、雰囲気があって面白かったです。歴史を学ぶだけでなく、視覚的に印象付けるために、様々な工夫がされていると感じました。

 

ポイント③:俯瞰を意識した展示法

国立歴史民俗博物館を見ていると、博物館としての立ち場を定めないようにしているのかなと思うことが多々ありました。展示資料は豊富に用意されていますが、それをもってこういうふうに見せたいという意図があまり読み取れず、どちらかというと、どう読み取るかは訪れた人に任せているように感じられたのです。

例えば太平洋戦争がテーマのとき、大抵の博物館の展示の仕方は決まっています。大日本帝国の躍進、広がる戦線、男性の出征、銃後の辛い暮らし、学徒出陣、空襲、敗戦という流れですね。着目する点は博物館によって異なっても、この流れは変わりません。言い方は少し乱暴ですが、展示室を進むにつれて、だんだん暗い雰囲気になっていくものです。

ところが国立歴史民俗博物館は、そういう演出が皆無ではないものの、それほど強くありませんでした。というのも、負けていく日本関連の展示資料と並行して、勝ち進むアメリカの資料も展示していたからです。例えば日本が官民とも多大な犠牲を出した南洋諸島関係の展示では、アメリカが日本人に降伏を呼び掛けてまいたビラも一緒に展示され、双方の立場を見ることができました。銃後の苦しい生活に関連した展示では、その天井にB29らしき模型がありました。そして原爆に続く日本降伏の展示では、日本の無条件降伏が報道されているアメリカの新聞も一緒に展示されていました(カリフォルニアの新聞だったかと思いますが、初めて見た資料でした。号外3本めだったようで、翌日はお店も全部お休みとの報道。アメリカの喜びようがわかりますし、あの大国にとってもそれほど大きな戦争だったのだと改めて感じました)

これらの展示法が示すのは、なるべく歴史を俯瞰的に見るよう意識されているということです。もちろん日本史を伝える博物館ですから、日本に寄っていて当たり前なのですが、そこにアメリカの視点が加わることで、印象はかなり変わってきます。「日本にとっての悲惨な戦争」と「アメリカにとっての輝かしい勝利」が両立していることを知るのは、本当に大切なことです。

こういう俯瞰的な視点は、テーマのつくり方にも及んでいました。他の博物館であまり見かけないテーマだと、いわゆる「えた・ひにん」等と呼ばれた被差別民やアイヌ民族の歴史なども、広いコーナーを設けて触れられていました。それも、「こんなに悲惨な歴史があった」「だからこうすべきだ」という感情を煽るような説明や結論は付随しておらず、飽くまで淡々と資料が展示されていることに、好感を持ちました。いい悪いを博物館が伝えるのではなく、こういうテーマが日本にはある、と知らせること自体に意味があるのだと思うからです。

 

ポイント④:展示室ごとに設置した休憩所

博物館で休憩を取ろうと思うと、だいたい展示室のすみにちょっと据え付けてある小さなベンチや、展示室の外にある休憩室で過ごすことになりますね。足が疲れてしまって、展示室の後半はほとんど見ることなく、ひたすら外の休憩室を目指してしまった、という経験のある人もいるのではないでしょうか。

国立歴史民俗博物館は、この問題を、展示室が終わるごとに休憩室を設けることで解消していました。どの休憩室にも、椅子が設置されているだけではなく、自動販売機やトイレまで用意されています。これは海外でもあまり見た記憶のない配慮です。展示室の数から、少なくとも施設内に6つ以上の休憩室やトイレがあるわけで、その設置や維持には相当の金額もかかるはずです。これには本当に驚きました。

 

まとめ: 

ポイント①とポイント②から読み取れるのは、国立歴史民俗博物館は、所蔵している資料を見せるための博物館ではなく、日本通史を視覚的に語るための博物館であるということです。いい意味で、とても教科書的です。ですから千葉にありながら千葉に特化して語ってはおらず、日本のあちこちがテーマになっています。日本のどの地域から訪れても、あるいは外国人であっても、日本史を楽しく学べるに違いありません。

またポイント③の考え方は、私が思う歴史の学び方に合致していて、個人的にはとても好印象でした。子供に見せたいのはこういう展示がされている博物館だなと思いますし、大人にとっても人それぞれのよみ方ができる博物館だと思います。

国立歴史民俗博物館はとても広いのですが、ポイント④によって、自分のペースで周りやすくなっているのもよかったです。小さな子供が飽きてしまってもすぐに外へ連れ出せますし、疲れた大人も足を休められます。休憩室から直接出口に向かえるところもあったので、今日は古代と中世だけ見て、後日、近世以降を見る、という周り方も可能です。

私個人の経験から言えば、日本史を学ぶのに、ここまで気が配られている博物館は珍しいと思います。加えてスタッフの方たちも皆丁寧で気持ちよく、本当に楽しい一日が過ごせました。またゆっくり見に行きたいですし、次こそは、団地のジオラマに入ってみたいです(*^-^*)。

 

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